「実践理性批判」の2年後に発表された「判断力批判」の上巻。第一批判=純粋理性批判と第二批判=実践理性批判が、後者の実践理性によって前者の理論理性が強化されるという、理性に関わる一続きの仕組みと働きの記述として編まれたことは、それだけで後世の哲学全般に対する領域設定として非常に有意義な功績に違いない。しかし一方では、その両書の連携について曖昧な部分を残してしまっている。考えることの限界設定と如何に生きるべきかという原理の探求とが、どうやって結びつくのか。その疑問に答えることが、この第三批判を発表させた大きな理由として考えられる。
本書では、第一批判で感性から直観された現象を構想力によって表象化し、悟性(知性)によって統御した後に図式化する際に働くと規定された「判断力」、その仕組みを通して理性にも働きかける判断力について綿密に吟味・検討・領域設定することを通じて、理論理性が実践理性に繋がっていく道筋を見出そうとする試みが展開していく。
上巻は、以上の目論見を巻頭で宣言した後、感性から直観を受け取って表象する「構想力」とその表象を統御する「知性」のはたらきが理論理性の要求する客観的な因果論的思考から離れ、主観的な判断を付すことで自由意志を得る機縁となる「美」と「崇高」についての詳しい考察を纏めている。
「美」についての記述では、美そのものの省察を進めながら、美についての判断は客観的な根拠を持ち得ないこと、しかし、主観的な判断に基づきながらも普遍妥当的な同意を求めるものであり、その要求にも妥当性があることを、様々な視点から様々な言い方で解き明かしていく。その過程で芸術全般についての幅広い洞察も付している。たとえば、絵画に関する部分では時代的には先行しているにもかかわらず、19世紀後半フランスや20世紀ヨーロッパの諸潮流についての解説としても読めるし、音楽についての鋭い指摘も豊富にあり、芸術の最高形態としての詩の規定や、彫刻や建築などの芸術の諸ジャンルについての位置づけもしている。そして議論の本筋としては、主観的な美学的判断を明晰にすることによって、ひとは自由意志も少しずつ涵養していくことができることも示していく。
一方、「崇高」の部分で展開する、崇高を感受し、意識し、志向していく過程は、理論理性から離れて自由意志を養った美学的判断が、道徳性の下にある実践理性に近づいていく際の枢要なはたらきを為していることを示す。その議論は、後年バタイユの思想の根幹を為した「至高性」を想起させる。
理論理性と実践理性を連結する判断力批判。その過程で、芸術についての理解も進む一冊。