中国の現代史の中で非常に重要で、かつ国の発展を10年遅らせた文化大革命
(60年後半から70年代前半)という時代背景と、この文化大革命に巻き込まれ学業を追われ農村に下放
(農村生活の中で革命精神を学ぶという思想改造)の経験を経た監督チャン・イー・モウ無しに、この
映画は出来なかっただろう。
当時の大学生はブルジョア思想の持ち主として都会から追われ、田舎の農作業に出された。
映画の中で田舎へやってきた教師と描かれた父、母が愛情を注いでも親・村人は教師として来た身分の違う都会のよそ者と
本来一緒になれるはずも無いことを知りつくしていた。
現実はさらに厳しいもので、ある日突然党本部からの呼び出しで何処かへ消えそのまま帰らないということも普通にあった
ことだった。
教師が街に呼ばれ、チャンツィイーが村外れの道で雨の日、風の日、雪の日を待ちつづける場面は、その時代を実際に経験した
中国の人々にとって愛情の表現ではなく、胸を締め付けられる暗い時代が蘇る映像に違いない。
今の改革開放路線下での中国の発展の影に、数多くの青年男女が下放により地方に追いやられながらも、その地方の教育レベルの
向上に寄与したのだろう事は考えられるが、その中に放り込まれた個人個人には大変な時代であった。
監督は、この作品と一作前の「あの子を探して」の2作を通じて教育の重要さを訴えたが、2度と文化大革命のような間違った道に
入り込まない為に個人の自立の為に、エンターテイメントの形をとりながら多くの人に見て欲しい、理解して欲しい、と言って
いるように私には思えた。