カトリック信者だった遠藤周作は当然多くのキリスト教に関する文章を遺している。例えば、アカデミックな歴史研究にも触れながら原始キリスト教が「人間イエス」の神格化や教団化を果たしていく過程をかなり客観的に整理したエッセイを書く一方で、そこまでキリスト教を相対化しつつも最終的には彼をカトリックに留まらせた信仰の「核」とはいったい何だったのか。特定の宗教に帰依していない僕にとってこの問題は興味深いのだが、本書はその「核」が少しだけ明らかにされる一冊である。
本書は長崎を訪れ、殉教者になり切れなかった転向者や隠れキリシタンの足跡を辿った作品である。「私が彼らに近い」(30p)と語り、正宗白鳥を引きながら「どんな人にも、どんな作家にも彼が人間である限り、「打ちあけるよりはむしろ死を選ぶやうな秘密」が暗い意識の裏にかくれている」(126p)と告白したこの作家は、確かにこのような信仰的敗者達の弱さに自己を投影していたようだ。そして、隠れキリシタン達が抱いていた殉教者へのコンプレックスと聖母信仰に、中学時代に亡くした母への想いが重ねられているのも告白めいている。この作家が何を「許されたかった」のかは分からないし、そこまでは僕も興味はない。だが、告白小説による簡単な救済なんか全く信じていなかったこの作家は、本書の中で最大限自身の信仰のメカニズムを客観視しつつ明かしているように思う。
なお、本書が書かれた70年代初頭にはまだ隠れキリシタン集落は地元のカトリック教会の教化を拒み、先祖伝来の土俗化した信仰を貫いていたこと、西欧から来た宣教師の中にも江戸幕府の弾圧で転向した者がいたことを僕は本書で初めて知った。歴史紀行本としても面白い一冊だと思う。