250ページほどの分量に対して、12の短篇。ひとつの話は20ページくらい。とても短い。
話自体はどうということはないのだけれど、「急須」という話が好きだ。
軽いうつになって、大学に行くことができず、部屋で急須をみがくことで現実逃避をはかる医学生。
たまたま参加した、大学病院の患者を学生が実際に診察するという授業で、彼が看たのは、急須を買った店の店主だった。診断は、ガン。もう長くない。彼は、急須を買う際に、芥川を読んでいた店主と、夢中で芥川談義に花咲かせたのを思い出す。
芥川談義がいい。短いけれど、静かな彼らの熱気が、思いが、伝わってくる。
「芥川ですね」「うん、そう、芥川。昔の本だけど、今読みなおしてみると、あらためていいよね。この急須みたいに、芥川の文章はバランスがいいよね」「芥川の作品ではなにが一番お好きですか」「『秋』には全体に大正末期の東京郊外の秋の空気が感じられるんだよね。セピア色で、品がいいんだよね。せつない恋の物語ではあるんだけれど、登場人物たちが澄んだ秋の空気にくるまれているから清潔で上品なんだよね。いいよね、『秋』は」
もしこれが長編なら、もっとじっくり語るのだろうか。すみずみまで、細かく。でも、これだけなので、僕は芥川が読みたくなった。
登場人物たちと、読者の僕が、この文章を通じて同じ方向をむいた瞬間、という気がする。そしてこのひとときを彼らと共有した読者は、だからこそ主人公の思いに共感せずにはいられない。「もっと小説の話をしておけばよかった。気軽に店に寄ればよかった」と。
この中の短篇には、南木さんのこれ以前の作品で、もっと長いエピソードとして既に語られていた話を、モチーフとして再び取り上げているものもいくつかある。でも、その味わいは随分違う。長い作品に対しては、読者はじわじわと、体を慣らしながらその世界にもぐっていく。エピソードの与える感覚は、いつの間にか、読者の一部になってしまっている。そのことに気づかないことさえある。
短篇は、自分のいる、いつもの世界とは違う世界を、あっという間に走り抜ける感じだ。新しい感覚が、熱いままに体に残る。それがわかる。だから、短篇はいつ読んでも新鮮だ。
素直な文章の中に切れ味のするどい一文をまぎれこませるような南木さんの文章には、こういう短い短篇のほうが合っているのではないか、と思う。