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たぶん、多くの人がそうなのだろうと思うのだが、
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私は、『ターヘル・アナトミア』の訳業に前野良沢という人が中心的役割を担ったということを知らなかった。
もちろん、学校でもその名前を教えてもらった記憶は・・・、ない。
私の頭の中では、『解体新書』=杉田玄白だったのである。
そんな私が、みなもと太郎先生の『風雲児たち』で、初めて前野良沢を知った。
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『風雲児たち』の中の、前野良沢に男惚れをして、
彼をもっと詳しく知りたくて、買った本がこれなのだ。
訳業の中心的役割を担いながら、ついにその書に名を残さなかった前野良沢。
その書の刊行とともに、大医家への階段を駆け上がった杉田玄白。
その光と影のような対比の中に、二人の価値観、人生観が描かれる。
良沢八十一才、玄白八十五才。
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光に背を向けた人生と、光を目指した人生と言えるかもしれない。
人生の終焉における立場はまったく違ってしまったけれど、
それぞれの人生において、きっと幸せであったに違いない。
「誠に櫓舵なき船の、大海に乗り出だせしが如く・・・・」
この海に、果敢にも挑んだ人々に、感謝。~
ある日、腑分け(解剖)に立ち会ったとき、刑死者の内臓が、ターヘル・アナトミアの解剖図と全く同じであることを目の当たりにして、なんとか翻訳を成し遂げたいと強く思うに至る。偶然、同じ原書を入手していた杉田玄白らと協力して翻訳作業をはじめるものの、ネイティブの講師がいるわけでも蘭日辞書があるわけでもない。わずかな頼りは数百語のボキャブラリーとほとんど理解できない仏蘭辞書のみ。「頭とは人体の最も上にあるもの」という一文を訳するだけで膨大な無駄と沈黙と迷走を経ている。その繰り返しは、太平洋を手こぎボートで横断するようなものであろうか。
進んだ西洋医術や文化を吸収し日本の発展の礎を築こうとするすざまじい迫力と根気には脱帽するばかりである。
良沢と玄白という二人の蘭医の生き様の対比が小説としての魅力になっているが、同時に、日本における技術翻訳の原点を見るという意味でも大変興味深い作品となっている。
前野良沢の偏執的な潔癖さと、実を取る玄白との対比。学問の進歩には知見の交流が必須であり、その点では玄白の処し方が正しい。どんなに立派な研究をしても、発表しなければ何もしないのと同じ、というのが学問の世界である。良沢の態度は極度に自己完結的であり、蘭学の進歩、学問の将来という視点を欠いている。名利を求めることを罪悪視するあまり、時代に必要な書物の出版を拒否し続けた彼の狭量さは、やはり名利に囚われていたともいえる。日本人には良沢のストイシズムが受けるかと思われるが、一大学派を築いた玄白の方が、時代の要請によほど応えている。
しかし、私には良沢に似た部分が多少あるので、彼の気質を一方的に非難する気になれない。これは彼の性(さが)であり、仕方のないことなのである。ただ、学術的精度よりも実利を重視し巧みに世間を泳ぎ抜けてゆく玄白を目にして、彼が狷介の度を一層増したことは想像に難くない。晩年の良沢の落魄は、玄白の隆盛に対する鏡像であったといえる。
本書は、記述にすぐれたリアリティーがあり、小説として上質な作品である。ただ、優れた作品であるだけに、その事実性には疑問が残る。すなわち、学術的資料として用いてよいものか、そのあたりがはっきりしない点が惜しまれるが、それこそこれは「ないものねだり」というべきであろう。
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