時代小説といえども現代の読者に読ませるんだから、地の文のところは現代日本語どころか、横文字を使ったって構わないと思うが、でも、江戸時代と設定した作中人物が、会話の中で現代の用語、たとえば「金融危機」だとか「民主的」なんて言葉を吐くとしたら、読まされるほうは思わず蹴躓いてしまう。
本書、第1話では『八百長』、第5話『最後通牒』など、江戸時代には無い言葉が、庶民の会話にポンポン出て来る。
「八百長」ってのは、お相撲の世界からきた言葉で、明治の始め頃、囲碁好きの伊勢ヶ浜親方と八百屋の根本長兵衛さんとのエピーソードがもと。寛政期と時代設定した小説に「駕籠」の代わりに、さしづめ「人力車」でも出したというと解り易いか。「最後通牒」に至っては国家間の外交用語「アルティメイタム」を日本語に翻訳したもの。江戸時代、それも下っ引きあたりが口走る言葉では絶対にない。あまり細かいことは言いたくないが、それでも江戸時代らしい情緒というか、雰囲気的リアリーティーを露骨にブチ壊すような言葉を使うのは、極力、避けて欲しいなと思うよ。
「八百長」は「いかさま」に、「最後通帳」は「果たし状」、「喧嘩状」あたりに書き直すことだね。
それと、まえに「伊賀守主税」なる通名+通名という不埒な名前のお旗本が出てきたが、今度は、「宮崎譲忠晃(みやざきゆずるただあきら)」と、諱に諱を重ねる随分ふやけた名前の筑前秋月・黒田家江戸家老なる人物が出て来た。
この『鎌倉河岸捕物控』全体を通じて言えるが、こうした作中人物、とくにお武家に対する奇異な命名っての、もう少し何とかならないもんかねぇ。
『玉川上水の水は上様もお召し上がりに』なんて、ならないの!
江戸の下町は海面を埋立てた土地なんで、井戸水に塩っ気が混じるため飲用に適さないのと、武家、寺社、町方あわせて百万人の人口を支えるのに神田上水や涌水の水量だけでは不足なんで、多摩川の羽村堰から引いてきた玉川上水が、四谷大木戸を基点にお江戸の西南部方面へと給水されていた。しかし、江戸城中には一年中涸れることのない深井戸が本丸だけでも幾つもあって、公方様は、もっぱら、こちらの美味しい井戸のお水を召上がっていたね。
城郭というのは、つねに籠城することを前提に築かれるものだし、千代田のお城は、武蔵野台地の末端にあって、じつは涌水が豊富。満々と水を湛えた千鳥ヶ淵の堀を見てご覧なさいな。
こういうのって、初歩的に誰か考証指導してあげる人って居ないの?
『鎌倉河岸捕物控(13)独り祝言』に続く。