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マルクス主義が大きな力を持ち、経済的な下部構造が社会全体を規定すると言われていた時代においてはイデオロギーの問題などとるに足らなかったのだが、しかしアルチュセールは、「最終審級での下部構造による決定」というマルクス的教義は踏襲しつつも、しかし労働力の「再生産」ということを問題にすると、どうしてもイデオロギーの存在を問わざるをえないと主張した。われわれ人間をつねに労働商品として再生産し続けなければ、資本主義体制は維持されない。そもそも働き方を知らなければ、働けない。それゆえ、それぞれの社会的身分に応じて「教育」を施さなければいけなくなるが、それは会社や工場などの労働現場だけではなく、日常生活の様々な部面でも行なわれる。それを担うのが「イデオロギー装置」である。家族や学校などを代表とするこのイデオロギー装置の中でわれわれは資本主義的主体となっていき、イデオロギー諸装置は国家と資本主義に奉仕すべく機能していくのである。
イデオロギーという言葉に引きつけられて見失いがちになるが、この本はまぎれもなく「国家」について書かれたもの、数少ないマルクス派の国家論の一つである。学級崩壊、学力低下などの教育問題、日の丸・君が代問題、靖国問題等々、日本「国家」が内側から崩壊し、外からは圧力をかけられ、本来ならば改めて国家そのものを考えなければならない状況にある現在、理論的にそれを考えるきっかけを与えてくれる本かもしれない。
草稿とはいえ、かなりの密度で論が展開されている(本来は二巻組の大著の計画だった)。これによって、アルチュセールが「イデオロギー」という言葉にこだわった意味が、より深くわかるかもしれない。
一点だけ取り上げてみたい。「イデオロギー装置」論文では、生産力と生産関係の再生産についておざなりにしか述べられていない感がある。しかしこの草稿を読めば、その再生産という前提が論考全体のなかでかなりの比重を占めているのがわかる。国家という体制における再生産にを考えるためは、生産力ではなく生産関係を読み取らねばならないこと。そのために、その生産関係を存続させようとするイデオロギーを研究するのが不可避であること。等々。
評価の星が四つなのは、この草稿が現在の社会学やマルクス主義研究にどれだけの影響力をもたらすことができるのか、未知数だからである。これは「68年」の熱に浮かされた、今やだれも信じない革命への夢を語る時代遅れの思想なのか。それとも、この草稿が提示する理論は、現在の問題に一石を投じるものであるのか。
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