鳥の渡りと鮭の回遊は一種の振り子運動で、それも地球規模の、しかもその振りのリズムは地軸の振り(太陽と地球、月と地球)と一致している。「食の相」と「性の相」の季節の流れに乗った交代である。
植物は、太陽の高さと歩調を合わせながら居ながらにそれをやってのける。天地を結ぶ巨大な循環器の毛細血管に喩えられる。
動物の場合は、内蔵の消化腺と生殖腺に始めから宇宙のリズムが宿されている。卵巣は、月齢を知っている。「観得」する。
体壁系(目・耳・鼻の感覚器官、筋肉という運動器官)にも睡眠と覚醒の日リズムがある。動物にしか見られない感覚・運動器官はどんな些細な変化にもいちいち反応するため自然のリズムは乱されがちである。
「内蔵波動」をよく感じるには体壁系のつっぱりをほぐし、しなやかになることが大事である。
そして、感覚と運動は原因・結果の関係にはない。それは、同時である。神経系は、使い走りで「伝達」するのみである。
生命の主人公は、「食」と「性」を営む内蔵系で感覚と運動にたずさわる体壁系は、手足に過ぎない
内蔵系の象徴が心臓(心)で体壁系の象徴が脳(頭)である。
「気は心」というが心は頭にはなく大宇宙との共振を言うのである。そして、それは気配により感じる。
「思」という文字は、「あたま」が「こころ」に声を傾けている図柄である。
乳幼児から三歳児にかけては数百万年そして数千万年の歳月が僅か数年の日々にもの凄く濃縮されている。
私たちの体には生命誕生の三十億年の昔から三十億回に亘って春秋を経験してきた宇宙リズムの生命記憶があり、何らかの弾みで甦って来る。ある一つのものが眼に入った時、同時ににそれに関わった過去のありとあらゆる記憶が再燃して、その視覚像を十重二十重に包み込む。春に千々の想いが浮かぶ、赤とんぼにも千々の秋の想いが浮かぶ。「おもかげ」である。
図版が適切で深くアッと思う。