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内村鑑三/岡倉天心 (新学社近代浪漫派文庫)
 
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内村鑑三/岡倉天心 (新学社近代浪漫派文庫) [文庫]

内村 鑑三 , 岡倉 天心

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著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

内村 鑑三
万延2年、江戸に生れる。東京外国語学校に学んだ後、札幌農学校在学中にメソジスト監督派の洗礼を受けたその福音信仰は、明治24年の第一高等中学校における不敬事件を挟んで「基督信徒の慰め」「救安録」他の著作として現れ、同33年には「聖書之研究」を創刊した。社会、政治に亘ることに関心を持したのも信仰に発し、足尾鉱毒問題に取組んだのをはじめ、日露開戦時には、立場を異にしつつも、幸徳秋水、堺利彦らとともに非戦論を唱え、あるいは米国の排日法案を難じる等、入信五十余年の間に闘ったところは、近代の日本が当面した困難そのものを象徴し、その存在は、近代日本が示した最大の良心のひとつであった。昭和5年歿

岡倉 天心
文久2年、横浜に生れる。少時から学習した英語に堪能で、東京大学にあってその下に学んだアーネスト・フェノロサの日本美術研究を助け、共にした調査で法隆寺夢殿の救世観音像を見出す。明治22年の東京美術学校開校の準備に携り、やがて校長になったが、その後逐われるに及んで日本美術院を創設、横山大観、下村観山らを擁したそれの経営に当るなかで「東洋の理想」「日本の覚醒」「茶の本」の英文による著述を通して示した一箇の文明史観は、「東洋の理想」の冒頭の一句Asia in Oneに凝縮される。明治37年にボストン美術館に招かれて日本部を托されるようになり、大正2年日本に帰国中に歿するまでその任にあった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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