最も平明正確な訳書であるだけではない。柄谷行人の「刊行によせて」にあるように、「共産党宣言」といったこれまで流布してきた書名は、本書発刊の経緯を見誤らせる結果となること、よって本来の意味としては「共産主義者宣言」としたほうが、孤高の本書の正鵠を得ているという点において画期的ともいえる新訳であったのだ。この新訳初版は1993年。
マクロ指標はともかく、現実としての経済状況は長期のデフレ下にあった。しかし、そうした刊行時の状況以前に、マルクスのこの「檄文」は何という見通しを持っていたことだろう。これを単なる古典的文書などとは誰にも言わせない。
「工場主による労働者の搾取が一段落して、労働者が労賃を受け取るや否や、ブルジョア階級の他の部分が、すなわち家主、小売商人、質屋等々が労働者に襲いかかる」
このくだりなど、今日の方が一層当てはまる。ただしブルジョア階級は、その多くがマーケティングという大掛かりで金のかかる扇動を駆動力とした大企業にとって代わられているが。一層手が込んでいるというわけだ。
家族の廃止のくだりなどは、まさに今の話。労働者の日々の再生産の分だけを賃金として支払うというくだり、現在その状況は悪化している。ワーキングプアなどと呼ばれる低賃金労働者、日雇い労働者はプレレタリアからも脱落しているではないか。
ルンプロ(ルンペン・プロレタリア)に対して、マルクスは「腐敗物」として罵倒しているが、今日のルンプロはかつてのプロレタリアが転落したものであるとすることもできる。
同一企業内では、非正規社員からすれば、正社員はブルジョアだ。しかし、いつでも転落の自由と自己責任という名の脅しをかけられている正社員とて、プロレタリアに他ならない。
その他にも、『ダーウィンの悪夢』の解説としても妥当な国際経済・政治論も明快にして簡潔。誤解の余地はない。国際貿易の比較優位説など牧歌的なお為ごかしであることは明白だ。
心して読まれよ。これは、図書館で厳重管理する類の古典などではない。