本書は何よりも、世界的なグローバリズムに抗する思想的根拠の提示である。
著者によれば、グローバリズムとは地域の伝統や風土を無視し、市場や理性によって世界を均質に設計しようという普遍主義である。それは過去の歴史をもたないがゆえに近代合理主義を至上の価値とする、アメリカ的なリベラル・デモクラシーそのものである。このような視点からみれば、近年流行した「帝国」に対するマルチチュードやマルクス主義のプロレタリアートなどは、グローバリズムに抗するどころか、逆にそれを加速する近代主義の亜流でしかない。
内山は、大塚久雄による古典的な同名書のスタンス、すなわちゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの普遍的進歩史観を否定して、まったく反対に、伝統と風土に支えられたローカルで多層的な「共同体」の再評価を試みる。
本書を読んで私は、内山のいう共同体論に、リベラリズムの普遍主義に対するコミュニタリアニズムの個別主義を想起した。文化的伝統を持たないアメリカにおいて、サンデルやマッキンタイアのコミュニタリアニズム(共同体主義)は十分に根付くことはなかった。だが、むしろ逆にわが国では、近年、リベラル-コミュニタリアン論争が精緻に検討され、柄谷行人や田畑稔のいう西欧的アソシエ―ションではない、日本の農村のもつ自然と人間の自生的循環が評価されている。本書『共同体の基礎理論』は、内山自身がマルクス、ウェーバー、大塚久雄らへの痛苦な批判を介してたどり着いた地平であるだけに、青木孝平の著書『コミュニタリアニズムへ』『コミュニタリアン・マルクス』などとも共鳴しうる、関係主義の立場からする近代市民社会批判であると感じた。この意味で、佐伯啓思や菊池理夫が欧米から輸入し、青木孝平によって市民社会批判=アソシエーショニズム批判として応用されたコミュニタリアニズムが、内山節の本書によって、ついに日本固有の共同体主義(日本型コミュニタリアニズム)として完成したと言えよう。