この著者との最初の出会いである「普賢」を読んだ時は心底感動した。
ほんたうに目の前に空から花びらが降ってくるようであり、それが言葉の
力だけで出来るのだと思い知らされた。最近海外で持て囃されている
日本の現代作家にしてもそれなりの支持される理由(共感とか同時代性とか)
はあるのだろうけれど、この作家と比べるとその文章はまるで子供。日本語
というものから必然的に生まれた作品とは言い難い。それが悪いわけでは
ないけれど今日本語をまともに使って、日本語の力を使って、作品を書ける
若手はいるのだろうか。
ただこの作家のその見事な文章には魅了されるけれど、読めば読むほど
言葉がぐるぐると読む者の周りを乱舞し言葉の渦に巻き込まれる気がする。
しかも我々はその渦の中心、そこにある核のようなものに手を出すことが
できず捕まえることが出来ない。本書然り「荒魂」然り「狂風記」然り・・。
もしかしたらその中心と思われているものははそこにはないのかも知れない。
それともそれを捕まえる力が無いというだけであろうか。