文章のうまさは得難いもので、
ロシア正教関連の薀蓄も嫌味にならず、
それなりに成功していると思うが、
結局、なぜ「長崎」で「原爆」なのかという点については、
読み終わっても、今ひとつ釈然としない部分が残った。
そもそも、人が衝動的な旅の目的地に長崎を選んだりすることに、
とりたてて理由などはないのかもしれないし、
この作品の全編に漂う雰囲気も、明らかにそうしたものなのだが、
そういうふうに読めてしまうとしたら、
やはり基本的な構想のどこかに
失敗があったと言わざるを得ないのではないか。
当初からの書き手の狙いが、
読者の側の先入観をいくぶん裏切ることにあったとしても、
そのことに変わりはないと思う・・、と書いてきて、
今になってようやく思いついたのだが、これって要するに、
『二十四時間の情事』の単なる真似なんだろうか。
もし本当にそうだとすると、なんというか、
「志が低い」としか言いようがないのだが・・