承久の乱までの公卿補任の内容をグラフ化したものです。今となってはなつかしいクラリス社のマック・ドローを使って作成されています。
公卿各自の昇進スピードの違いを視覚的に理解することができて便利です。ただし、兼官や位、また非参議公卿などの情報はほとんど書かれていませんので、詳しい情報は公卿補任本編や尊卑分脈で確認する必要があります。年表48ページ、索引18ページと薄いので、持ち運びにも便利です。とにかくクロノロジカルに公卿の昇進過程を把握したい方にお勧めです。
若干の間違いがあるので星は4つです。以下に正誤を記します。
1. 本文p.38, 藤原為房が藤原氏以外を示すオレンジ色のグラフになっているが、正しくは藤色。
2. 本文p.47, 藤原道家が権大納言直任であるかのような表記だが、元久2年3月任権中納言。(言わずと知れた九条道家)
3. 総索引p.8, 藤原公氏:(誤)隆忠の三男。→(正)実房の三男 <公氏は後の正親町三条家の始祖に当たる>。
4. 総索引p.9, 藤原実氏:(誤)嘉禎2年左大臣辞退。→(正)嘉禎2年右大臣辞退。寛元4年2月任太政大臣、12月上表。
5. 総索引p.10, 藤原忠経:(誤)実房の長男。→(正)兼雅 「花山院家」の長男。
*補足:
先述の「藤原実氏」は常磐井相国西園寺実氏のことですが、西園寺家から「左大臣」が出るのは実氏の嫡男となった公相が初めてです。西園寺公相は内大臣から太政大臣まで大臣全てに任官したという大臣大将の家の出身者としては珍しい存在です。
蛇足ながら、藤原隆忠は松殿関白藤原基房の息男で従一位左大臣に至った大覚寺隆忠、藤原実房は左大臣三條実房、藤原兼雅は従一位左大臣花山院兼雅、という左大臣三人衆です。