「ハーバード白熱教室」などで好評を博すマイケル・サンデル教授だが、昨年(2010年)5月に刊行された『
これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)は、アマゾンの「哲学・思想」分野において、依然として上位を走っているようだ。そのサンデル教授の公共哲学(Public Philosophy)に関する論説等を収載しているのが、この「政治における道徳を考える」というサブタイトルの付いた当書である。前掲書の翻訳者であった鬼澤忍氏の訳出も適切で、読み易く感じる。
さて、この評論集は「アメリカの市民生活」「道徳と政治の議論」及び「リベラリズム、多元主義、コミュニティ」という3部構成をとっており、アメリカにおけるアップデートでホットな道徳的・政治的イシューを議論の俎上に載せたり、アメリカ・リベラリズムの巨星、ジョン・ロールズ(John Rawls,1921~2002)への論理的批判を展開したりしている。こうした言説を通じて、前掲書では今ひとつ見えづらかった同教授の思想的スタンスが、かなり鮮明に浮かび上がってこよう。
もとより、教授は「権利(正義)」と「善」の関係において「権利が依拠すべきなのは、一定の時代の一定のコミュニティで有力な価値観や好みである」といった意味でのコミュニタリアンではない。実際、教授は「善に対する正の優先を唱えるタイプのリベラリズムや、権利の根拠をコミュニティの価値のみに求めるタイプのコミュニタリアニズム」(本書第30章)に否定的である。問題なのは「特定の善の概念を前提とせずに権利を確定し、正当化できるかどうか」ということだ(同第28章)。
「善」なくして「正=権利」は語れない、という教授の論旨は判るとして、ここで最大の“難問”は、教授のいう「善」とは何か、ということではなかろうか…。私見だが、その「善(共通善)」を見出す手法として、あの「白熱教室」の討論があるようにも思える。「善」とは、家族や地域、学校や教会といったコミュニティで涵養された道徳的宗教的な信念であろう。それらが「内省」「熟慮」等を伴う「熟議」を通して「共通善」となり、「権利(正義)」を正当化する典拠を与えていくのではなかろうか。