山脇は「公共哲学」に2つの機能を見ています。
(1)公正な社会を追求するヴィジョンや行動指針
(2)公共的諸問題を市民と共に対等な立場で論じ合い、そこでの要求を政策にリンクさせる実践性
(1)では、功利主義やリベラリズム、コミュニタリアニズムが競合しあっています。最近ではサンデルのコミュニタリアニズムが功利主義、リベラリズムを批判している。(2)では、アーレントやハーバーマスの方法論が代表的です。アーレントに対しては社会問題や政策に対しての関心が希薄であるとする批判がある一方、ハーバーマスに対しては合意形成を目指しすぎるという批判がある。しかし2人の共通点として、「上からの公共性ではなく、下から創出する公共性」が特筆すべき点でしょう。近代的な公共圏の創出です。
山脇は著者名を伏せながら豊田有恒の『日本の原発技術が世界を変える』から3.11前の原発を巡る言動を抜き出し、3.11後の実態と比較しながらブラックユーモアだと結論付けています。一方、3.11前の正当な異端者として高木仁三郎を取り上げ、高木の死の直前の著書『原発事故は何故はなぜくりかえすのか』から高木の公共哲学的な思索に溢れた記述を紹介しています。これら記述の中で、山脇は「国家が決めたのだから、それが公益だ」と説いた通産省の若い役人の精神構造にメスを入れます。
さて、3.11が突き付けた問題群は広範囲です。公共的使命感と人権尊重(Fukusima50)、東京電力の経営形態、原子力ムラ、ドイツの決定と日本政府、政治(状況判断と責任倫理)、メディアの在り方、人々のケアなどどれもが重要な問題です。本書はそれぞれについて模範解答は載せていません。3.11原発事故を通して顕在化した公共の揺らぎと危うさを確認しながら、公共の再構築の為に様々な視座を用意してくれています。
携帯電話のマナーやレストランでの振る舞い、ご近所との付き合い、TV番組の質の低下など身近な公共から、この国のあるべき姿、安全・安心を共有できる地域・国家の構築のために本書は多くの示唆を与えてくれました。