本書は「八幡神」に焦点を置き、その信仰の本質に迫るというもの。
「八幡神とはなにか」とは一見平凡なタイトルに見えるが、
この神に対する本質的な疑問を最もシンプルな言葉で表していると感じる。
どこの町でも地図を探してみれば必ずと言っていいほど見つかる「八幡さま」だが、
それでいてその信仰の実態は、実に掴み辛いものがあるからだ。
庶民にとっても身近な神様である反面、源氏の氏神として威容を誇り、
またかの道鏡の”託宣事件”の当事者であったり、政治との密着ぶりも甚だしい。
その出自も外来の神であるとか、いやいや宇佐地方の地生えの神であるとか、
諸説紛々として議論尽きることがない。全く不思議な神としかいいようがない。
本書で最も特徴的なのは「八幡神は、時を生きる国家神である」と解釈している点だろう。
すなわち、八幡神はその時代時代における政治的な要請により、
形を変えながらも、常に国家鎮護の守護神として生きてきた神であると考えている点である。
聖武天皇の人物像や、道鏡の託宣事件に関しても、著者独自の解釈を加えている。
それはあまり疑われることなく世間一般に受け入れられて来た彼らの人間像とは明らかに一線を画している。
しかし全ての論説において、本書の趣旨である宇佐神宮と八幡神の歴史を絡めながら、
演繹的に著者の考えを披瀝して行くので、読みやすく、また説得力も十分に感じられる。
私も宇佐神宮には何度か足を運んだことがあるのだが、その度に「八幡神とはなにか」と考えずにいられない。
そしていつも、考えれば考えるほどわからなくなってしまうのだ。
本書の言う「時を生きる国家神」が本当の八幡神なのかどうか、私はそれは判断できる立場にない。
しかし政治とは、宗教とは何かという事を考える時、八幡神のありようだけに留まらず、
大きな示唆を与えてくれた一冊になった。