購入した。酷い散財である。はっきり言って、筆者の一月分の食費を大きく上回っている。併し乍、その価値は充分にある大書であった。
原書は昭和4年発行と云うから、およそ80年前の本である。それにしても日本全国、能くもこれだけの花街があったものだと感心する。エロと醜聞は太古から現在まで巷間で囃されるものなのだな、と実感した。しかし、これだけの花街の祝儀や花代をどの様にして調べたのだろうか。まさか経費でいちいち調べたわけではあるまい。いくら誠文堂と云えど、そんな大層はできぬ。なれば噂か。いや、その様ないいかげんもこの大業に於いてこの版元が許す筈がない。きっと、筆者の及びもつかない方法で調べたのであろう。
さて、花は男が買うものだが、男が買った花もまた、男を買う。「間夫はつとめの憂さ晴らし」とは能く言ったものである。花街がそれ程あったならば、その数、女は買われただろうし、また、間夫として芸人、役者や力士たる男も女に買われたはずである。お上は私娼を許さなかったから、自然、私娼も時が経って公娼とされた。
さて、公娼は現在禁じられ、その夥しい数の色はどうなったのだろうか。まさか日本人全体が清くなったのではあるまい。大正デモクラシーで純愛が叫ばれたからと云って、太古からのエロの習慣は抜けぬ。なれば、その数の公娼達は素人の中に潜ったのだ。今日、昔の娼妓や幇間さえもがしなかったことを素人の男女が平気でする。なるほど、建前に純愛を施して、我等はエロをその陰に貪っているのか。なれば、それは贋の恋である。色恋は分かち難くとも、分けた方が嫌々ながらも健全なのであろう。我等は今、先達が思いもつかなかったエロを恋愛と呼び、謳歌している。まさかそんな建前だけの色恋に本物は無かろう。我等は永遠に本物の恋を失ったのである。贋の恋に生き、それを真実、恋と信じたままで死ぬのである。
それを実感させてくれる一冊である。星ひとつ減じたのは、ただその値に対する貧乏人のささやかな抵抗である。良書。