この作品は、宇宙飛行士の月面での体験、帰還してからの自己忘却、そしてその後記憶を取り戻す過程を通して、言わば「至高体験」を表現したものです。 本作を通して、生を生き直す貴重な体験を、読者は得られます。
日野氏らしい、宇宙的想念が色濃く反映された作品であり、「闇が光(モノ)を倦みだす」という氏の哲学が傑出されています。月面での描写と、東京の西新宿のビルの地下にあるホームレスの住処の描写とをシンクロナイズさせる辺りがやはり日野氏の手腕です。SF小説というものは、ややもすると安っぽい作品になってしまう可能性が大きいものですが、本作での絶妙なバランス感覚、ただの妄想でなく現実的に月へと飛翔する時代となった東京の様子があまりにリアルです。看護婦である黄慧英(ホアン・ホエイン)や黄河、連翹そして月などの様々な「黄色」の描写が鮮やかに印象的で、美しく雄大です。また、最後の月から地球に着地する時のジョークが面白い。これは何か平野啓一郎氏の『顔の無い裸体たち』の最後のジョークの描写で参考にされているような気がします。
氏の作品を読んだ際には、舞台が東京であれば私は追体験をするのですが、本作での多摩センターの「神殿」を体験したいと思い、やはり行ってきました。そうしたら、本当に素晴らしい。こんな神秘的な場所が東京にあったのかと、驚きました。まさにシュールレアリスム作家。みなさんも、是非!
いずれにしても、当然この作品もそうですが、氏の作品を読んでいると、自分の中に無意識に抑制してきた過去が次々と立ち現れてきて、痛ましさと同時に懐かしさも感じさせられます。世界は危険で恐ろしく美しい。闇の中に光を感じて生きていこう。そう思いました。