エピローグの次のページに、「本作品は『新潮』二〇〇七年三月号に掲載された。その後、その内容および記述の一部について、由良氏の御遺族から事実誤認などの御指摘を頂いた」(p239)と付記。「御指摘を頂いた」事実だけが告げられて、それでどうしたのか書いてない。訂正済みなのか、「御指摘」は無視したのか。謝罪の言葉も反論の言葉もない。こんな但書って、あるのかしら?
面白いか面白くないかと問われれば、構成がまさに映画的で、すご〜く読ませる。プロローグがいきなり由良君美の死で始まり、第1章では時間が20年ほどもパーンと遡って著者の東大入学、由良との出会い。その後、さまざまなエピソードで由良の人物像に陰翳を加えるが、「間奏曲」では由良から一旦離れて子弟関係一般について考察。第5章はこの子弟論を踏まえた一種の結論だが、第1章では弟子の立場にあった四方田が、ここでは師の立場に立っており、構造的には話が一巡する。で、エピローグは言わずと知れた……ま、誰でも予想はつくか(笑)。
物語としては漱石『
こころ』は誰でも連想するだろうけど、本書にも登場する林達夫に絡めれば庄司薫『
白鳥の歌なんか聞こえない』とか、それから中上健次も忘れてはいけないんじゃないかと思う。
しかし第5章で由良をウェルギリウスに擬えるのには、やっぱり「……?」な感じはある。「不肖の弟子は、そこで初めて師が、キリスト以前に生を享けた者であるがゆえに、天界に足を踏み入れることが許されぬ身であることに気付くのである」(p211)って、それ随分な言い方だよね。自分はダンテってことだし……