たまたま本書を古書店で見つけて、そういえば西園寺公望ってどんな人だったんだろう、という素朴な疑問から手に取った。他の本と比較した上のことではないし(例えば岩波新書にも『西園寺公望』があることは、ついさっき知った)、評判も確認していない。ただ、「古希からの挑戦」という副題に、微かに違和感を抱いたことは覚えている。
で、印税収入にも貢献せず、素朴な疑問にはある程度応えてもらい、西園寺について漠然とながらイメージを持てたのだから、文句を言う筋合いでもないのだろうが、しかしこの著者、大学の研究者にしては不用意な記述が目立つように思った。例えば……
西園寺の最初の「妻」菊子が過剰なまでの清潔好きだった話で、彼女が若い頃には不潔な中江兆民が居候していたくらいだから、そんな潔癖症ではなかった。「西園寺が菊子よりもずっと年の若い二番目の『妻』中西信子と暮らすようになり、大磯にほとんど来なくなってしまった鬱憤を、勝気な菊子は家を磨きたてることで発散していたのであろう」(p160)とか。ちょっと踏み込みすぎ。
いわゆる第2次護憲運動に際し、選挙での護憲三派の勝利にもかかわらず西園寺が清浦奎吾首相の辞任を止めた話で、これは清浦内閣の継続に望みをつないでいたからではない。政党政治実現に身を捧げてきた西園寺が、そんなことを考えるはずがない。彼の真意は「結束の必ずしも強くない護憲三派に清浦内閣への対抗意識を持たせることで、結束を継続させようというものだった」(p201)とか。これもどうかな。
あるいは、1926年3月2日に西園寺は実弟を亡くしているが、京都日出新聞1926年4月26日付に載った彼の某日の献立を基に、「こうした食欲から判断し、西園寺は弟の死の悲しみをすぐに克服したようである」(p227)とか。う〜ん。
更にあるいは西園寺の家で女中たちのもめごとが絶えなかった話で、もともと気難しかった西園寺が健康不安もあって「一層かんしゃくを起こしたり口やかましく小言を言ったりするようになったのであろう。それが女中頭への強いプレッシャーとなり、それへの対応に疲れた女中頭やそれに次ぐ女中たちは、このような暮らしの中に自分の女ざかりの日々が埋没していく現実に絶望を感じる瞬間もあったに違いない。そのストレスが、別荘という小世界の中で、自分より立場の弱い人々に対してぶつけられた」(p237)とか。
ま、切りがないので止めるが……全般に歴史上の人物の心理状態などについて根拠不明な、あるいは明らかに踏み込み過ぎな描写が目立つ。新書であることを意識したのだとしても、想像力の質はお世辞にも高いとは言えない。歴史家は、やっぱり事実を以って語らせる、であってほしいですね。