本書は儒教とは何かという問いを通して、中国、朝鮮、日本を儒教文化圏として捉えた東北アジアの文明論である。儒教の歴史変遷を眺めつつ、儒教とは宗教性、礼教性とから成り立っているのであるということを丁寧に説明する。特にその孝との概念を交えた宗教性の説明は興味深い。経学時代には仏教・道教両者がともに宇宙論・形而上学(存在論)を持つのに対し、儒教(経学)には十分でないという弱点があったところに、朱子学が哲学性を補う役目を担ったという説明も面白かった。
どんな本でも読者が予めもっている知識によって得るものが違う。何も知らない人間が本を読んで得る新情報の量は大きいが、研究者のようにその情報の質を吟味することはできない。私は儒教といえば「何だかわからないけど『忠・孝・礼・義』だの封建的で古臭い教え」という程度の知識しか持ち合わせていなかったので、本書で得た情報量は大変大きかった。しかし、著者が批判の矛先を向ける他の学者に対する意見が妥当なものなのかどうなのかは私のような入門者には判断がつきかねる。
しかし、何といっても風土的に酷烈な「生きていること自身が苦しみである」ということから出発する南アジア発生の仏教や、砂漠に覆われた西アジア発生の「原罪を持ち救世主を求める」ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などのとは違って、儒教は冒頭からして「亦た楽しからずや」と、この世は楽しい楽しいとする儒教という捉え方は、私の従来の儒教のイメージを根底から覆した。「孝=生命の永続性」との概念も新鮮だった。また漢字は物を写すというその性質上、まず物ありきという形而下的世界に中国人の関心は向くため、中国人は現実的で即物的で五官(五感)を最優先にするため、この世は楽しいのだ、という説明にはただ驚くばかりだった。アジアを理解するにははずせない一冊。