確かに人物造形や心理描写は前二作からあまり進歩が見られないような実にぬるいものだ。しかし、その粗造りさによって「終末」や「地球という揺り籠からの脱出」というテーマが描かれると、かけがえのない純粋さというようなものがそこには立ち現れるような気がする。「理屈に合っていない」ことだけれど。
この小説の主人公は、「自分さがし」のために地球を出るのだ、と度々発言する。それが唯一の信念で、絶対的な自己正当化の手段であるのだと。だが、最も近い異性はその信念に終始対抗する。彼女の思想は地に生き、汗を流して働く人間のものである。恒星間宇宙船の建造からは思想的に遠く離れているようでいて、現実的に切り離せない種類のものだ。主人公は当然彼女の思想に反発し、耳を傾けようともしない。そんな彼がどのような結論に達するか。「自分さがし」の方法として、外を向くべきか内に向かうべきか。筆者なりの回答は物語の末に示され、僕はその答えを心から尊敬することができた。
主人公が希望を守護するために機械を説得するラストシーン、彼の紡いだ言葉が忘れられない。
「エネルギーをすべて出し切ってしまえば、無になることなど何だというんだ。消滅する運命は変わらないとしても、ここに存在した意味は得られるはずだ。今をフルに作動していれば、何も残る必要はない」
機械の製造主として放った言葉は、そのまま人間の創造主に対する叫びに変換される。世界の終末に生きる人間の物語として、ふさわしい幕切れではないかと僕は思う。