本書は、哲学者による「労働の思想」に関する歴史的な理論を体系的に説明した入門的な解説書である。理論的な内容のため、決して読み易いとは言えない。これは、内容が単純でないことが原因であり、著者の落ち度ではない。むしろ、難しい内容を、平易な文章で説明していると言える。最初に「労働」と言う言葉や文字が、和製漢語であることが説明されており、労働の概念が極めて近代ーロッパ的概念であることが示される。「働」は、「動」に人辺を付して「働くこと」を意味するようにしたものだそうである。労働が、人間として避けられない苦役であるとした西洋の古典的な思想に始まり、ドイツの哲学者であるヘーゲルによる、奴隷の労働がその成果を消費する主人との関係では、奴隷は労働から歓びを感じるのに対して、主人はその成果を消費するだけで、歓びを感じることはないとする矛盾の指摘まで、西洋における仕事に関する思想の変化が説明される。これに対して、東洋の哲学では、働くことの意味について議論さえされてこなかったとの指摘は興味深い。日本では、町民文化が台頭した江戸時代から、従来の漢学的な思想にとらわれず、まじめに働くことが意味のあることだとする思想が発達したとの説明がある。明治以降の我が国の近代化や発展が、そのような思想的背景に裏打ちされていたことは、疑いようのない事実であろう。難を言えば、本書が書かれた時代背景が、21世紀の現在とは大きく異なり、どちらかと言えば産業化社会の進展した20世紀型の時代であり、労働の本質が人間の肉体的活動であったことから、現在の知的創造活動を主体とする労働に関する考察が不足している点である。20世紀における社会的な課題には、(肉体的)労働時間を企業に提供する弱者としての労働者と、それを統合して製品やサービスを生産し、利潤を獲得する資本家との間に発生する問題の解決があった。21世紀になると企業経営も専門化し、専門的な知識をもった特殊な労働者(マネージャ)によって実践され、仕事も知的に洗練されたため特殊な教育訓練を受けた専門家によって実践される。資本家は、事業の推進に必要な資金を提供するが、事業そのものは専門家たちによって実施される。この場合、労働者は弱者ではない。資本家と労働者は、パートナーである。本書が基調としているのは、そのような意味では、弱者としての労働者の労働に限定される議論である。金融取引を実際にやっているトレーダーや、病人を相手としてその治療に専念する医療従事者達の労働は、質的に違ったものである。