『博士の愛した数式』で初めて小川作品に接したかたが、『密やかな結晶』や『余白の愛』を読んだらその温度差に戸惑うかもしれない。本書ならばどうだろう?
現実と非現実のはざまで紡ぎ出される喪失の物語を多く発表してきた著者。本書でもまた、弟が亡くなり、恋人が去り、失踪者の影がちらつく。だが、失われるものがある一方で、偶然によってもたらされる確かなもの、決して消えないものがあるということ。その手応えと重みを感じさせてくれる短編集だ。この確かなものを「希望」と呼んだら安直すぎるだろうか。
印象深い人物が登場する。どんな不確かな日々の中にもなくならないものがあると力づけてくれる象徴的存在が、「なくし物を取り戻す名人」キリコさんだ。また、小川作品には非現実的で逸脱した人物がよく描かれるが、本書では「弟」を名乗るファンがその筆頭であろう。ほとんどストーカーだ。しかしその「弟」ですら他の作品の逸脱者とは違って人間くさく、迷惑極まりない人物ではあるが「私」は彼に救われもする。そして新しい命が育まれていくうちに、役割を終えるかのように去っていく。
失われるものがあり、失われないものがある。新たにもたらされるものも。そこにやはり希望の光を見たくなる、他の作品よりも温度の高い短編集だと思う。