運命の修繕人「メグレ警視シリーズ」で一世を風靡したフランス最大の文豪シムノンの代表傑作を集成する河出版「シムノン本格小説選」第4弾です。この企画は昨年から始まって3冊が順調に出た後パタリと途絶え一年で終わりと思っていましたので、ようやくまた続巻が刊行されてホッと安堵し嬉しく思っています。今回の作品は1940年代にイギリスとフランスで2度映画化され、今年2009年11月にハンガリー・ドイツ・フランスの3ヶ国合作による3度目の映画が上映されようとしている今話題の著者の隠れた名作です。
北フランスの港町ディエップの港湾駅で転轍手として30年近く実直に働いて来た50代の男マロワンの人生に不吉な転機が訪れる。ある夜彼は船でロンドンから来た男が相棒の男と格闘し海へ突き落とすのを頭上の作業場から目撃してしまう。殺人犯の男は見られていた事に気づいて逃亡し、マロワンが男と共に海へ沈んだスーツケースを回収すると中には大金が入っていた。このまま黙って金を着服しようとするマロワンの周囲に殺人犯の影が迫り、やがてロンドン警視庁から刑事がやって来て、事態は次第に緊迫の度を深めて行く。
マロワンは妻と小学生の息子と住み込み女中として近所の肉屋で働く娘の四人家族で生活は楽でなく、今回大金を得た事で気が大きくなり贅沢に買い物をして家族に愛情を示しますが、結局は全く心楽しくない事に気づきます。彼はしっかりしていて臆病者ではなく不安は抱いても自分できちんと対処出来る人間なのですが、一瞬で雪崩れの様に恐ろしい出来事に見舞われます。本書で著者が描こうとしたのは、人間という生き物が生来持つ衝動的に争いに身を委ねると我を忘れて凶暴な本性が剥き出しになる悲しい本質の部分でしょう。長年真面目に生きて来た男が唯一度の誘惑に負けて道を踏み外した運命の変転が衝撃的で、人間の本質を冷徹に見据える著者の確かな洞察力に感服致しました。