絵画における北方ルネサンスは、何をなしとげたのかということを解明した優れた著作である。カンパンとファン アイクが何を開拓し発見したのかを叙述する「断絶」の章は圧巻である。現在でこそ、「北方ルネサンス」という概念が一般化してきたが、古くは、ファンアイクの絵画は「後期ゴシックの残存」として語られ、ホイジンハでさえ「中世の秋」の文脈で解釈していた。実は現代でも北方ルネサンスをイタリアからの影響・伝播として語る傾向は強い。
読後、よく考えると、肖像画・風俗画・静物画・油絵技法など、西洋古典絵画の大きな要素が、カンパンやファンアイクなどの初期フランドル絵画によって開拓されているのである。
著者は、絵画が何を意味しているかではなく、どう描かれているか、その前に立ってどう感じるのかを言語化するという至難なことを実践していることには敬服する。ロヒール作の肖像画に対する「敬虔の受肉」という描写は絶妙だし、メムリンク作の肖像画に「画家の手が加わることによって、彼らは望むべき姿に似るようになるのだ」も的確な指摘であろう。この画風を言葉で述べるという崖を登るような努力をある程度行っているのには注目したい。
同時に著者が批判しているのはイコノロジーで「描いた事物の意味」を解釈するだけで事足れり、もう絵がわかったとする浅薄な態度である。これには全く賛成したい。粗雑な線描で描いた図に文字で名前を注記したものと、ヤンファンアイクの驚異的な絵画と意味的には同じになってしまうではないか。
翻訳はまあ合格で充分読みやすい、だいたい哲学者の文章はラテン系の凝った単語や言い回しが多く難解なものなのだ。読みやすく翻訳するのは大変だっだろうと、感謝したい。ただ、イザボー=ド=ババリアという仏英?混合の変な人名表記はいただけない。
もともと大判の豪華本だったものを、持ちやすい版型で翻訳してくれているので、図版は省略が多く、モノクロばかりであるのはしょうがない。ただ、カバーの図版は、なぜボストン美術館所蔵の絵をつかわず、それほど良くないコピーの写真を採用したのか不思議に思う。
見落とし・誤りと思われる点は、次のとおり、
・古代を扱った章で、ファイユーム肖像画は殆ど板に描かれたものであるのに、布に描いたと誤認している。
・古代ギリシャの絵画としては、1970年代に発掘されたマケドニア王墓の絵画が現存する。
・現物ではなく、写真をみて書いているのではないか?と思われるところがある。ヤンのサインや銘文を「額縁に彫りつけて」と述べるのは、現物を一度でもみたことのある人の言葉ではない。ヤンの額縁の銘文はまるで彫りつけられたように描いた一種の騙し絵である。
・マドリード、ティッセン=ポルミネッサのロベール=ド=マスミンの肖像は、樹林年代で、1433年以降の制作であることがわかった。ロベール=ド=マスミンは1430年8月に逝去しているので、遺族の注文による、晩年の作品かコピーであろう。このような注文は先祖の肖像の油絵がずらっと並ぶ欧州の名家の邸宅をイメージすると容易に想像できる。
重厚で内容豊富な本であり、大学のセミナーで輪読・議論するには最適な本であろうと思う。