難解とされる道元の書『正法眼蔵』のなかから、平易な言々句々を選びぬいてまとめたのが『修証義』。曹洞宗の在家の信者用の軽めの日常的教本である。これを語り口調で現代に喩えて語っていく。丁度、法事で集まった少ない員数の家族の前で和尚が法話を懇切に語るようである。学術論理的であることもなく、新発見を披露するわけでもない。和尚の人間的魅力が横溢しているばかりである。例え話が時代錯誤であろうとも語る人柄の魅力が無くなるわけではない。しかし、聞く側の心の窓の開き加減次第が、理解の尺度である。聞き手次第では平易な物の言い様が子ども扱いだと嫌うことにもなろうし、語り手の満面の笑顔を白々しいと感じることだってあるだろう。万人向けに懇切に書いていることでかえって読者を絞り込んでしまっていることもある。平易であることや喩えを引いていることから宗門の解に反していると見られることもあるのだろう、私的解釈であると不自然にあえて釈明していることもある。ためか、版は止めて久しい。これからも出版されるこはないように思う。宗門の重鎮が若き時、情熱をかけて分りやすく真摯に解説した未完成の自画像のようなものかもしれない。稚拙な部分や誤描(ごびょう)の部分でも、たとえ正しくとも、改訂して青春の情熱を消し去るようなことをしたくなかったにちがいない。遠くで笑っている和尚の顔が見える。