内容紹介
豪雪の秘境として知られる長野県最北端の栄村「秋山郷」。トチノキを材料とする木鉢(こね鉢)の製作は、江戸時代から冬期の重要な生業であった。そば粉・小麦粉・雑穀などを木鉢でこねた麺や「アンボ」と呼ばれる饅頭は、山村の独特な食文化を象徴してきた。
仕上げの段階で槍鉋(ヤリガンナ)、銑(セン)など古い道具が使われる秋山郷の木鉢は、昭和58年に長野県知事指定伝統的工芸品に指定されたが、ボウルなどの代用品の普及や食生活の変化によって近年は製作者が激減。長い伝統が途絶えかねない状況を迎えている。
本書は地理学・地誌学の泰斗で秋山郷研究の第一人者である市川健夫氏と日本木地師学会会員により、秋山郷の風土と木鉢づくりの技術的背景を解説しながら、日用器物を通じて山と人との関わりを再考する。存続が危惧される全国の木地師の動向にも言及する。
レビュー
信濃毎日新聞、2010/08/22(前略)木鉢作りの歴史と現在を、1999年から秋山郷で山と人のかかわりを調査してきた、富士市立博物館(静岡県)学芸員で日本木地師学会員の井上卓哉さんが報告。トチノキの選定・伐採に始まり、製作工程の一つ一つと、作り手の技術、各工程で使われる道具などを、写真や図版も添えて詳細に記した。
文政11(1826)年に秋山郷を訪れた越後の文人、鈴木牧之の「秋山紀行」の記述からは、木鉢や曲物などの製作が江戸期から男性の冬の生業だったことがわかる。その後、周辺の村々による立木の乱伐や焼き畑耕作地の拡大などで針葉樹を材料とする木製品は衰退し、トチノキから作る木鉢、ブナやミズナラから作るコスキなどの生産が継続されたという。
ほかに、東京学芸大名誉教授の市川健夫さんが秋山郷の風土と生業について解説。終章では、木材から椀や盆などの器物を作る、全国各地の木地師の現状を、同学会の会員が報告している。