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信じるということ (Thinking in action)
 
 

信じるということ (Thinking in action) [単行本]

スラヴォイ ジジェク , Slavoj Zizek , 松浦 俊輔
5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容説明

What is the basis of belief in an era when globalization, multiculturalism and big business are the new religion? Slavoj Zizek, renowned philosopher and irrepressible cultural critic takes on all comers in this compelling and breathless new book.
From 'cyberspace reason' to the paradox that is 'Western Buddhism', On Belief gets behind the contours of the way we normally think about belief, in particular Judaism and Christianity. Holding up the so-called authenticity of religious belief to critical light, Zizek draws on psychoanalysis, film and philosophy to reveal in startling fashion that nothing could be worse for believers than their beliefs turning out to be true. --このテキストは、 ハードカバー 版に関連付けられています。

内容(「BOOK」データベースより)

本書では、欠けているものを補おうとして次々と何かを求める、物質主義的な世俗の現代生活も、実は信仰に根ざすことを、多様な素材を基に解き明かす。

登録情報

  • 単行本: 193ページ
  • 出版社: 産業図書 (2003/03)
  • ISBN-10: 4782801475
  • ISBN-13: 978-4782801475
  • 発売日: 2003/03
  • 商品の寸法: 19 x 13.2 x 2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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書き出し
These, then, are the minimal coordinates of Gnosticism: each human being has deep in himself a divine spark which unites him with the Supreme Good; in our daily existence, we are unaware of this spark, since we are kept ignorant by being caught in the inertia of the material reality. 最初のページを読む
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形式:単行本
この本は期待を裏切らずに、いつもどおりのジジェク節満開ですが、それでは芸がないのであえてジジェクの言葉遣いをせずに以下のように筋書きを書いてみました:
“主体”というとき、我々は積極的な何かの様相を語っているのではなくて、「言い当てることのできないもの」に内側から衝き動かされ、あれやこれやに執着し、手に入れば満たされず放り出すことを繰り返し、死に絶えることができないというだけで生き永らえている有様を呼び指そうとしているだけではないか。
 その「言い当てることのできないもの」は、声を持たない亡霊が口をぱくぱくさせて何かを伝えようとして見せるかのように我々の語り出しを誘うが、我々はそれを言い当てることができないまま、とめどなく剰語するばかりだ。
 いっそ、語り出すことはせず、我々の裡で蠢く「言い当てることのできないもの」がいつしか外に作り上げていた規範(=〈法〉)に従うことだけをして生きてゆくことに決めてもいい。〈法〉のあるものには沈黙を守って生きよとあるだろう。しかしそういう生き方を“主体的に”決めたというのはおかしな言い方だ。そのとき我々は相変わらず他に引きずられているではないか。
 では「言い当てることのできないもの」の蠢きを停止させてみるというアイディアはどうだろう。「言い当てることのできないもの」などないのだと、今までの執着する私をリセットする。リセットボタンを押す指が本当に私だけの指であるのかどうかはわからないが、また、どうせ同じゲームがはじまるのだろうが、ともかくボタンがあることに気づかされる。キリストとはそんなリセットボタンの或るものの謂である。
:誤読しているかもしれません。諸賢には、どうぞご鞭撻いただけますと大変幸甚です。
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By ヒソカ VINE™ メンバー
形式:単行本
 この平凡なタイトルの本で、ジジェクは、我々の日常経験に構造を与える、しばしば無意識に信じていることの輪郭をたどる(日本人の中には「私は何も信じていません」「私は無宗教です」と言う人が多いけれど、そう語る人たちも無意識に信じていることはあることを本書は教えてくれる)。ジジェクは、「電脳理性」や「西洋仏教」やニューエイジにいたるあらゆる対象を取り上げ、これらの経験が全て、我々が思っている以上に宗教的な信仰に近いと論じる。また、ジジェクはスーパーや人生論雑誌や「自己啓発」グループで売られているアジア的精神世界の西洋版は、グローバルな資本主義に対する批判とはなりえず、むしろそれの補完的なイデオロギーであることを看破する。しかも、そうしたニューエイジ思想や自己啓発的な試みが、その経験の根底に、神を求めて人間を完成させようとする、グノーシス的(非キリスト教的)な、無益な試みがあることを示す。これらに、企業経営者のようになって、召命を顧みることのなくなった教会の牧師たちが語る教説も、私は加えたい。彼らの語ることは、資本主義にあまりに迎合的なだけではない。そこには、キリスト教の<愛>が発生し得る地平である、神の過激な自己放棄、すなわち「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)の入る余地がない。

 それらへの対抗軸として、ジジェクは、映画、精神分析、カルチュラル・スタディーズ、哲学、宗教に依拠し、信仰とは実に、不完全に関するものだという、キリスト教の知られざる思想への回帰を訴える。キリスト教は、グノーシスの<知恵>のように、本当の<自己>の(再)発見こそが救いであるとは言わない。そもそも、キリスト教と「自分探し」には何の関係もない。そうではなくて、キリスト教は我々に自分を完全に作り変えることを求める。「信仰に生まれ変わる」とはそういうことだ。

 ジジェクの物事を分析する際の特徴は、「当然〜だと思われていることが、実はそうではない(内側にあると思われているものが実は外側にある、始まりと思われるものはすでに始まっている……)」という形を取る。ジジェクがそのように物事を描くのは、まさにこの世はそういうふうにあると認識しているから、その表れとしてそのように描くのだ。

 このジジェクの論法に当惑される方もおられるだろうが、聖書を読んだことのある人なら、これに似た語り口を見たことがないだろうか。イエス・キリストの「律法にはこう書いてある」と常識を述べた後、「しかし、私は言っておく」と常識を覆す反対命題を出し、結果として、表面的には常識とそれほど異ならないが、本質的には異なる意味をもつ世界に人間を誘うという論法を想起しないではいられない。

 もっとも、ジジェクがキリスト者であるかどうかはどうでもいい。大事なのは、何も信じていないように見えて、実は誰もが信じているのだというこの現代における信じ方を鮮やかに解明するジジェクの分析に注目することだ。その際、信じるということの典型的なモデルとしてキリスト教を描くことで、今日最も見えなくなっているキリスト教の伝統、つまり「自己を完全に作り変える」ことに、彼は我々の目を向けさせる。もちろん、彼は「伝道」の意図は全く持っていない。伝道者ジジェクというのは悪い冗談だ。彼は、抵抗のためにキリスト教を参照している。

 「序論」でジジェクが言うように、「理論の元々の勢いを取り戻すことができるのは、外部の位置からのみである」。レーニンがマルクスに対して外部にあったように、またラカンが「フロイトへの回帰」を、全く別の理論的伝統をてこにして達成したのと同様に、キリスト教の基本的教義を立てたパウロは、キリスト直系の側近ではなかった。そして、ラカン派マルクス主義のジジェクもまた外部の位置に立って、キリスト教の遺産を掘り起こす。本書で試みているのはまさにそれだ。支配的になった自由民主主義とグローバル資本主義に抵抗する方策は、そこにある。
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