『何日君再来』という曲(私は、おおたか静流さんの歌で聴きました)の、作詞・作曲者について、関係者の証言を綿密に追ったノンフィクションです。『何日君再来』は1937年に映画の中で歌われているので、本書の単行本が刊行された時点(1988年)では、50年ほどしか隔たっていませんが、日中の歴史に横たわる壁と溝の中で、真相にたどり着くには、さまざまな困難があったようです(いくつか、確認できていないこともあります)。
著者自身、1938年から1946年まで中国に滞在していただけに、深い思いがあるようです。青春時代を過ごした中国への熱い思いが溢れているのですが、時代のなかでの苦闘も感じられるだけに、全体に少し哀しさを感じてしまうのは私だけでしょうか?
追加です
著者がミステリー的な手法を使っていることなどを“批判”されている方がいますが、ノンフィクションの場合、著者が調査過程を含め記述していくのであれば、こういった手法はよくあることで、ノンフィクションを多少でも読んでいれば分かるはず(ジャンルは史伝となっているが森鴎外の『渋江抽斎』も同じ手法で、実際に謎解き的な面白さがあると書いている人もいる)。
また、著者の経歴に関して詳しく書けば、語学留学生として中国へ渡り、新聞記者になったのは1940年ごろのこと。『何日君再来』を周セン(王編に旋)が歌ったのは1937年、上海で製作された映画『三星伴月』の中でのこと。1939年に香港で製作された『孤島天堂』では黎莉莉も歌っている。著者が当時の中国で耳にしたとしたら、経歴を考える限り後者の確率が高い。だいたい、ヒット曲だからといって、誰も彼もが作詞・作曲者を知っているとは限らないのだ。また、今とマスメディアなどの状況が違っており、しかも著者がいたのが北京であったことを考えれば、詳しいことを知らないことはさほど不自然ではない。
それに百歩譲ったとしても、こういったことで若い読者の何を“混乱”させるからいけないのだろうか。それが全く分からない“批判”である。