そもそも、谷山浩子や崎谷健次郎といった、つまり職業ソングライターではなくソロ・アーティストのひと達が斉藤由貴に多数の楽曲を提供したのは、ギャラが出るお仕事というだけではなく、やはり彼女の資質に共感するものがあったからなのだろう。単にアイドル上がりの歌が上手な人というだけではとても辿り着けない表現の場所にかつて彼女はいた。しかし17年前の“前作”である『moi』が洋楽のカヴァーを含む非常に趣味的な作品だったし、その後の単発のシングルも企画色の強いものだったため、この新作は期待半分不安半分で聴き始めた。1曲目がセルフ・カヴァー「予感」だというのも不安の一因で、正直この曲は無くても良かったかと思う。しかし2曲目以降は素晴らしい出来で、傑作『MOON』('90)、『LOVE』('91)の凛としたまなざしと直結した世界である。巧みなだけの歌手が歌ってもキレイゴトに聴こえてしまう言葉に命を吹き込む真っ直ぐ伸びた背中と、笑顔を誘う柔らかな歌心の見事なバランス。3曲目で泣きました。
と、書いておいて矛盾するようだけど……“母と子”という設定が多用されているとか、明確な恋愛の歌があまり無いとかいったことが、彼女の今の生活の反映、のように受け取られてしまうことはやはりあるだろうが、私はそのへんはたいして重要ではないと思う。楽曲とは歌うための器にすぎないし、音楽作品とはそんなに狭量なものではない。歌詞を触媒として歌声に注ぎ込まれた熱量、それをこそ聴いて欲しい。
因みにタイトルは「永遠のひと」からの引用で、こういう長めの文章のようなアルバム・タイトルは斉藤由貴史上初。“久々の”新作アルバムであるという点も含めて(ブランクの間に商業音楽を取り巻く状況は色々変わったけれど、みたいな意味合いで)、本作を的確に言い表していると思う。
ただ……ラストのドリス・デイのカヴァー「Que Sera,Sera」(英詞のまま)でいきなり“趣味の時間”になっちゃってるんだよねえ。これはアンコールのようなもので、本編のテンションが高過ぎるからリラックスして閉幕、ということかなあ。確かにアルバムのテーマに通じるナンバーではあるし、悪くない気もするけど、ちょっと判断に迷うところだ。