伊東静雄の第一詩集『
わがひとに与ふる哀歌』を徹底的に読み解いた本である。
杉本氏によるとこの詩集は、
冒頭の『晴れた日に』という詩に出てくる「私」と「半身」の応答を軸に展開する詩集らしい。
本書ではその応答がどのように繋がってゆくのかが丁寧に解かれ、また詩の元ネタも追及されている。
『
わがひとに与ふる哀歌』を取り敢えず一度読んだあとで読むのが吉であろう。
個人的な感想を述べさせて頂くと、
詩集の軸に筋立てを見出して読み解くという試みは斬新であったし、効果的だった。
文字通り"徹底的"な読みであった。
だが、少々穿ち過ぎているような気もした。
この詩集を一つの舞台演劇にたとえるなら、
本書はその舞台を素直に客席から鑑賞しているのではなく、
舞台裏や楽屋など、本来観客に見せることを想定していない部分を覗き見ているのである。
『わがひとに与ふる哀歌』の元ネタはゲーテである。セガンティーニである。古今集である。と、
突き止めた作者の努力は素晴らしい。
だがそれらの元ネタが窺い知れるのは詩集の中ではなく、詩人の書簡や日記の中であるのだ。
読み解くのにゲーテやセガンティーニや古今集の知識が要るなら、
それは詩集の中に書かれるべきではなかったのか。
たとえ詩人自身の言葉であろうとも、詩集の外の知識を持ち込んで読み解くのはどうなのだろう。
言い方を換えると、本書でやっている作業は、
「作り手がどのようにして詩を作ったのか」を作り手目線で調べることであって、
「読み手が詩集のみを純粋に読んで純粋に解釈するときにどう読むべきか」を示すモノではないのだ。
「作者目線で見た詩集の成り立ち」が分かったとして、
その理解は「読者目線での詩集の読み」の助けになるのだろうか。
「作品論と作者論は不可分だ。よって詩集の理解に詩人の日記や書簡を併せるのは当然だ」
という感覚が……どうも私にはシックリ来ない。それが気にならない読者が羨ましい。
然し、間違いなく良書である。
詩の好きな読者には一読をお勧めする。