皇學館大學に在職していた著者31歳の時の著作。
それが学術文庫に収められたとは大したものと思いきや、のっけからがっくり来る。すでに他のレビューにもあるが、トインビーが伊勢に来訪した折、「伊勢の神宮に匹敵できるのはギリシャのデルフォイ…」と絶賛した話から始まるのである。戦後のある時期、西洋人に褒められることが最高の勲章だった時があった。日本が自信を喪失していた時代が確かにあった。しかし、そんな段階は、もう、卒業しなければならないだろう。つづいて、タウトや丹下健三による絶賛の言葉が続く。
(この著者、どうも権威に弱いようだ。学術文庫に入れる際、修正の余地はなかったのだろうか?)
とくに具合が悪いと思うのは、日本の美や神道的伝統をを語るのに、なぜ権威者(それも西洋の)を引き合いに出すのだろうか?
なぜ自分の頭と感性で語ろうとしないのだろうか?
その目で見てゆくと、この本は先行文献の要約をつなげるところが多い。
(それはそれで有益と思う読者もおられるだろう。したがって意味がないとは言わないが、著作としての価値はさがる。こんなことを言うのも、なにせ「学術文庫」に収められているからだ)
トインビーのくだりではオマケがつく。トインビーに対して皇學館の田中卓が「デルフォイは死んでいるが、伊勢は生きている」という意味の反駁を加える。なかなかの見せ場だ。さすがのトインビーもこれには頷かざるを得なかったと書き、これを著者は「実にさわやかな光景であった」と結ぶのである。
(当時、田中卓は皇學館における著者の上司である!)