◆心の御柱は、なぜ地中に埋められてしまったのか?
◆◆『古事記』『日本書紀』が説く神鏡の由緒に隠された意味はなにか?
◆◆◆そもそも、国家的最高神をまつる伊勢神宮に、なぜ御神体が二つもあるのか?
これらの謎が明らかになるクライマックスに向け、平易な筆致のなかにスリリングな新説が展開される。とくに後半はミステリーを読むようだ(こういう言い方は事実を直視しようとする著者にとって不本意かもしれませんが)。
第1章の「天の御柱」の話をはじめとするさまざまな伏線が最終章に至り、「心の御柱」に一気に結晶化するさまは圧巻だ。
著者は建築家とのことだが、むしろ作家―それも手だれの歴史作家―という印象を受ける。まるでミステリーを読むよう。
(種明かしはできませんが…)
かといって勝手な幻想をくりひろげているわけではない。話の展開は丁寧でわかりやすく、安心して読めます。というか、信頼できます。
(古代史、古代文学、神話・宗教学、民俗学、考古学、建築学から要点をかみ砕いて整理している)
伊勢神宮の成立は天皇の誕生とセットの関係にあり、「神社」の全国的な普及もまたこれと軌を一にするものであったことを知り、そうだったのか!と目からウロコ。
タカミムスヒに代えて、なぜアマテラスが立てられたのか?
溝口睦子氏の著書『アマテラスの誕生』(岩波新書)を読んで以来、気になっていた。これについても、説得力ある新説が提出されている。
タカミムスヒからアマテラスへの転換は“皇祖神の転換”ではなく、“国家神から皇祖神への転換”だという指摘も、言われてみればなるほど、もっとも。天皇の誕生とともに“皇祖神”が設定されたのであり、天皇の誕生以前に“皇祖神”があるはずもない。そして“皇祖神”にアイデンティティを与えるものとして伊勢神宮が天武の時代に再スタートしたという卓見。
(溝口氏の前掲著書などに見るように従来、以上のような概念の混同があり、それが問題の認識を混乱させてきたと気づかされる)
また尾張・美濃・伊勢・伊賀など伊勢湾岸地域の有力豪族を結集した天武が天智の系統から武力で政権を奪取したのが壬申の乱であり、天武の意識においてそれは新王朝を築く「革命」だった(『古事記』序文、『日本書紀』から)。その結果、伊勢湾岸地域の太陽神信仰をも背景にして皇祖神アマテラスが成立し、これにアイデンティティをあたえるものとして伊勢神宮の“再”スタートがあったとする(伊勢創祀については上記の謎解きにかかわるので紹介できない)。
そして、神社に二つの起源があることも初めて知った――伊勢神宮が象徴する“ヒモロギ系”と出雲大社が代表する“居館系”。
これにより「祭殿」が、神社のひとつの前身として整合的に取り入れられた。
(ひいては、弥生時代の「神殿」や古墳時代の「豪族居館」と神社の関係が明瞭になった。特にこの点は建築家ならではの成果といえる)
知っているつもりでも、実は何も知らなかったことを痛感し読後、急に視界が開けたかのような充実感と爽快感を味わった。深い余韻を残す、滅多にない読書。著者にはすでに、同じちくま新書から『法隆寺の謎を解く』がある。日本を代表する寺院の謎に取り組んだ前著には10年、日本を代表する神社の謎に取り組んだ本書には5年の歳月をかけたという。充実の労作を新書で堪能できるのは有難い。
【追記】著者あとがきによれば、神話と歴史から神社誕生にアプローチした本書に対し、前著にあたる『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)では場所や環境の観点から同じ問題にアプローチしたという。併読すると確かに理解が立体的になる。