この物語におけるオルフェノクと、ライダーのベルトは「強大な力」の象徴だ。それを手にする者一人一人に、その力の使い道は委ねられる。
最終的に巧はその力を人間を守る為に、勇治は人間を滅ぼす為に使おうとした。では勇治は自分に与えられた力に溺れていたのだろうか?最初にそうやって人を手に掛けてしまった勇治は、力に溺れることの無意味さを悟って人を守ろうとしていた。人間であろうと思い続けた。
自分の中にある人間に対する不信を自覚しながら、その意志で抑え込んでいた勇治と、人に対する不信よりも自分が人を裏切ることを恐れる巧。巧はきっと、元から人間とオルフェノクの違いや境界などを感じない者なのだろう。しかしそれができる人間は少ない。皆少なからず他者と自己とを分ける境界線を持っているものだ。そしてそれが他者に対する不信を生む。だからそんな負の感情を自覚しつつ、そうではないのだと自分に言い聞かせ続けてきたであろう勇治を、私はどうしてもただの人殺しとして断罪することができない。
耐えていたからといって、最後に拳を振るってしまったら、それは結局暴力だ。充分に製作者の言い分は判るが、それでも…。彼の葛藤と苦しみを1年間見てきた者として、せめて最期は笑顔でいて欲しかったと思うのは罪だろうか。
そして私は勇治が雅人をああやって手に掛けた本当の理由を、未だに見出せない。あれをするのが勇治でなければならない理由を誰か教えて欲しい。雅人の残酷な結末は、視聴者の勇治=敵という判りやすい認識へと繋がった。そのためだけのギミックだとしたら、こんなに悲しいことはない。