写真は被写体をそのまま写し取る物ではなく、写真家の手技や主義を反映する。でなければ写真が芸術と評されようか。士が撮る写真のように、ディケイドは平成ライダーの続編でもパロディでもなく、再構築。写真というよりキュビズムに似ているのかもしれない。
故にディケイドを評価するには「平成ライダーをどう解釈したか」の分析を避けて通れないと思う。オリジナルが好きなのは私も同じだが、違う所をあげつらって文句を云っても意味がない。
555編だが、その観点から言えば中の下ぐらいか。オリジナルの基軸である「夢を守る」「共存」「力の象徴=ベルトの争奪戦」を描いていたとはいえ、舞台設定が変化しただけでディケイドとしての新しい切り口が見られず、まタクミの正体がわかり一度は拒絶されるものの…という一連のプロットもオリジナル555と酷似していたため、予想外の展開が起こらなかった所に不満が残る。無難な再構築。
アギト編はかなり成功していたと思う。アギトは大勢の登場人物がひたすらに「迷い」、そして神への反抗を通して「人の強さ」を描いた作品。そういえば主人公が記憶喪失である点はディケイドと同様であり、自分探しの旅を続ける両者はベストマッチなのかもしれない。登場人物を不用意にたくさん出すのがアギトの脚本家井上敏樹氏の良い点でもあり悪い点でもあるのだが、今回思い切って氷川、芦原、翔一の3ライダーを一本化したことで話がスリムになった。また八代とユウスケの交流を描いたのが良い。ユウスケの何としてでも守りたい!という切実な想いと、守らなくても十分強い姐さん、他に大切な人がいる姐さんという構図が切なく、またそれがオリジナルアギトでの神と人との関わりに酷似していることに気づかされ、アギトへの見方が変わった。被写体の新たな切り口を提示する。それこそがディケイドの神髄だろう。