1月に「yoyochu sex と代々木忠の世界」を大学時代からの友人I君と銀座に見に行き、劇場の売店でこの本を買った。
冒頭の部分を読み、ああ、みんな同じなんだな、と思った。
I君は大学時代に「ドキュメント The Onanie」を見て強烈な印象を受けたと言っていた。
わたしも飯田橋くららで同シリーズのひとつを見て腰が抜けるほどの衝撃を受けた。
東良氏が語る、この作品が上映されている時間の、劇場内にいる男たちの息を呑んでスクリーンを見ている状況を20年以上経った今も生々しく思い出す。
代々木忠は、ビートたけし(北野武)とよく似ている。
30年以上の長きにあって、個人の存在が表現のジャンルそのものの代名詞となるだけの力量を持ち、同時に余人には理解できない深みや闇を抱え、それゆえに強烈な魅力で人を惹きつけるという点で、驚くほどそっくりだ。
東良氏も惹かれたひとりで、わたしより10年ほど年長で、AV業界の中で生き、見るべきものを見、考え、さらに代々木忠に長時間のインタビューをすることで更なる深みを知ろうとした。
その過程を、東良氏の個人史と果てなく魅力的な代々木忠の世界の謎を形にしたのが本書だ。
虚実皮膜というタイトルは代々木忠がよく口にする単語とのことだが、実のところそれはAVというセックス産業に限った話ではなく、いまの時代にわたしたちが生きているこの世界や社会に突きつけられている刃なのだろう。
お前が真実だと信じ込んでいるモノは本当にそうなのか。
虚を真と信じて生きることで、どれだけの澱がお前の心と身体に溜まっているか、認識しているのか。
お前の愚かしい目には虚に見えることこそに、本当の世界があると考えるだけの想像力の飛躍を自分に許す力はあるか。
本書を読んでいる間中ずっと、東良氏の言葉を通じて代々木忠からのそうした問いが喉元に突きつけられる。
自分の過去を否定する可能性のある恐ろしい刃ではあるものの、不快には思えないのは不思議だ。
むしろそうした形で自分の存在を脅かされ考え直すこと強いられることを、無意識に期待していた自分に気づいてしまう。
代々木忠の作品では心に傷や闇を抱えた女性たちがセックスによって救われ、本来持っていた瑞々しい感性と生命力を取り戻していく姿が描かれる。
その変化はいつも呆れるほどに劇的で、蛹の殻を破って蝶が姿を現す姿を目の当たりにする感動を見るたびに覚えてしまう。
作品の冒頭と事後では、女性たちの顔がそもそも違う。
赤ん坊の頃には無邪気に使っていて、しかし成長し社会化する過程で無意識に動きを抑制されてしまった表情筋にふたたび生命が吹き込まれたかのように、その人本来の自然で美しい笑顔を見せるようになる。
この本と双子のような成り立ちの前述の映画では、「恋人たち」の女性がそうだ。
大賀麻郎さんとのセックスで、見事に癒されていく。
個人的に、以前からとても気にかかっていたことが本書の終章で明らかになった。
故東ノボル氏が関わり、アテナ映像から発売されてはいてもAVではなくドキュメンタリのカテゴリーだった「多重人格そして性」の主役であった女性の現在だ。
290ページの代々木忠のコメントを読んだ瞬間、涙が零れた。
ある意味では、東良氏が、わたしが、あるいは日本中に何万人かいるはずの代々木ファンが、代々木忠の精神の宇宙に惹かれ続けたこの数十年に渡って知りたかった真実がここに集約されているように思う。
見えないものを見たい、見られるはずだ、という情熱を持った人たちにとって、代々木忠は師のひとりになる。
東良氏はそのことを明らかにしてくれた。