本書の副題に「テーラワーダ仏教と社会」とあるが、「教法、実践、証悟」(p.15)に関わる説明をよく読めば、学匠ポー・オー・パユットー師がテーラワーダ仏教と大乗仏教とを釈尊の立場で融合していることが分かる。こうした姿勢は、禅匠ティク・ナット・ハン師の「Engaged Buddhism」と同様である。
さらに本書の顕著な特徴は、「仏法の思考と実践」に関わる言葉の定義を明確にすることに重点を置いていることである。それは、語源に基づく学問的な定義の羅列ではなく、「仏法の思考と実践」を正しく行うために必要な定義の厳密化と言える。これは、「正語」の側から出発して「正見」を目指すアプローチとなり、パユットー師自身の言葉を用いればに「増上戒学(=戒)」(p.118)に重点を置いていることが分かる。すなわち、「善友」(p.120)という外部の要素(本書の場合、「善友」とはパユットー師のこと)がもたらす「正語」によって「増上戒学(=戒)」を成長させながら「増上慧学(=慧)」(p.119)に到達しようとするものである。
同じことをティク・ナット・ハン師は「正念」の側から出発して「正見」を目指すアプローチを取っており、パユットー師の言葉を用いれば「増上心学(=定)」(p.118)に重点を置いていることが分かる。すなわち、「如理作意」(p.116)という自分自身の内部の要素(それをティク・ナット・ハン師は「inter-beingへの“気づき”」と呼ぶ)がもたらす「正念」を通じて「増上心学(=定)」を成長させながら「増上慧学(=慧)」(p.119)に到達しようとするものである。
どちらも大切な修行である。本書を読んだなら、是非とも、『禅的生活のこころ』(ティク・ナット・ハン著)などによって、「増上心学」の具体例を知って欲しい。