【現代の仏教はブッダの仏教か】
インド北部(現在のネパール)の小国・シャカ国の王子、ゴータマ・シッダールタが、紀元前5世紀頃、その恵まれた地位、財産、妻子など全てを捨てて、「人生とは何か、どう生きるべきか」という難問を解決すべく修行を開始した。長年に亘る厳しい修行を経て、彼が辿り着いた究極の考え方が「仏教」であり、彼は彼を慕う大勢の弟子たちから「ブッダ(仏陀。悟りを開いた人)」と呼ばれるようになった。
ブッダの死後、ブッダの仏教は、ブッダの教えを忠実に守ろうとする保守的な「小乗仏教」と、ブッダの教えを拡大解釈しようとする革新的な「大乗仏教」に分かれ、さらに数多の枝分かれを繰り返して今日に至っている。因みに、いわゆる「仏教公伝(伝来)」で我が国に伝えられたのは大乗仏教のほうである。
ブッダの教えを基にしてはいるが、その後の仏教は修飾に修飾が重ねられ、煩瑣な規範が加えられ、ブッダより上位に位置する仏が新たに創出されるなど、理論としては格段に精緻になったものの、ブッダ自身の簡潔で、人間的で、分かり易い教えからは遠くかけ離れてしまったというのが、私の正直な印象だ。
日々、忙しく、悩み多き生活を余儀なくされているビジネスパースンが、ブッダ本来の教えに触れてみることは、決して無駄ではないと思う。
【 ブッダの生涯】
ブッダの生涯と言行を本格的に学ぼうとするとき、入門書として最適なのが『仏教百話』(増谷文雄著、ちくま文庫)だ。一問一答形式なので、私たちにも理解し易い。
例えば、「火の消えたるさまに喩えて――涅槃(中部経典72他)」は、「仏陀は、いわゆる解脱涅槃(げだつねはん)という考え方を説明した。解脱して涅槃にいたるというが、それは、死してのち天上におもむき生まれるというような考え方とは、まったく異ったものである。人々は、この世にあって、貪りの炎に燃え、怒りの炎に焼かれして、この人生を苦しいものとなしている。その煩悩のあり方を観察し、その根本を断ってしまえば、煩悩の炎は、もはや、ふたたび燃えざるものとなる。そこには、この身このままにして、清らかにして安らけき人生がおとずれてくる。それを、煩悩を解脱して、涅槃にいたるというのである」と解説されている。