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本書「仏の畑の落穂」の巻頭にその「生神」は収められています。
明治以前、ある村の長老格である浜口五兵衛は高台にある自宅にいるときわずかな地震を感じます。直後に浜辺を見ると、またたくうちに潮が引いていくのが見えます。
こうした海の急激な変化が何を意味するのか。五兵衛は子供の時分、父のそのまた父から聞かされていたことを思い出します。
津波です。
浜辺に暮らす村人に津波の襲来を知らせるいとまはありません。五兵衛が決断したのは、自分の稲田に火を放つことでした。突然の火事に驚いた村人たちが高台にある五兵衛の稲田へと集まってきます。全員が高台に上りきったその時、津波は海岸部の一切合財を呑み込んで去っていくのです。
八雲はこの物語を、江戸時代の村社会にあった人々の独特のつながりや、生きたまま五兵衛を神に祀るような日本の信仰のありかたについてまで言及しながら、大変丁寧な筆遣いで纏め上げています。
自身が仮に神として祀られたならと想定して、自分を訪ねてやってくる日本人たちの様子を社の内側から眺めて記した箇所などは、日本人に対する八雲の慈しみの気持ちがよく伝わってきます。
道徳の授業で使われるということには、どうも押しつけがましさを感じ取ってしまうのでもろ手を上げて賛成するという気にはなれませんが、それでもこの物語を伝承するというのは悪い話ではないと思います。
五兵衛自身も父の父から受け継いだ知識をもとに、自らの財産を代償にして村人の命を救いました。その物語を19世紀の八雲が「ツナミ」という言葉とともに西洋に紹介し、それを20世紀の翻訳でこの21世紀に読む。こうした読書によって、物語が受け継がれていくというのは、大切なことだと信じます。
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