正宗白鳥は、身も蓋もない人だ。白鳥の目に触れてくるものは、その本質がことごとく射抜かれてしまう。正確にいえば、「白鳥個人の目に映った本質」ということだが、読者に普遍の真理と思わせる点が、白鳥の手腕である。芸である。だから、「身も蓋もない人」ではあるけれど、「味も素っ気もない人」ではない。
これはどういうことか?白鳥は、対象の本質をあっさりととらえ、読者にそれをブッキラボウに提示するが、それだけでは終わらせない。採り上げた対象をしげしげと見回し、あれこれとつぶやく。そのつぶやき方が、変化に富んでいるから引き込まれる。つぶやいたあげくに、その対象をぽんと捨ててさっさと立ち去るが、どうかすると、また戻ってきて、捨てたはずの対象を拾い上げ、ポケットにしまいこんでたたずんだりしてみせる。一筋縄ではいかない、変幻自在の爺様なのだ。
別の著書で、白鳥は、「日本の文芸なんて所詮徒然草趣味ではないか」と言い放っていた。しかし、白鳥こそ、兼好の正統な後継者である。白鳥がブログやツイッターをやっていたらおもしろかっただろうな。