今川義元の歴史に関する概略をつかむのにはいいと思うんですけど、
今川義元の兄弟に関する記述など、色々と疑問に思うことがある。
今川家では本家足利氏に習い、嫡子以外の男子は僧籍に入れることになっているが、
次男とされる彦五郎は僧籍に入っておらず、氏豊も僧籍に入っていないばかりか、
二歳で斯波氏を監視するために那古野城主に任命されていることになる。
また十二歳で織田信秀と連歌友達となり斯波氏とも婚姻関係を結んでいることになる。
彦五郎に関しても、本来は今川氏嫡男の幼名とされる名前である。
しかも、父であるはずの氏親の葬儀に彦五郎が参列した記録がない。
それほど重要な立場で僧籍にも入っていないのに、なぜ父の葬儀に参列しない。
どう考えても、長男、氏輝の息子と考えるのが自然ではないだろうか。
色々と疑問に残る点が多い。