生まれるのは偶然、死ぬのは必然とはよく言うが、偶然授けられた命をどう生きようと、人は必ず死ぬ。その死をいかにして全うするかは難問だ。僕自身はといえば、そもそもそのような問い立て自体が、ない。
本書は、3年前ロングセラー『「痴呆老人」は何を見ているか』を書いた東大名誉教授大井玄の新著。本書のテーマはずばり、「死生観」だ。
終末期医療に従事する著者は、日本人の「死」が医療の発達していくうちに本来あるべきものから、当事者である患者の望む者から乖離しているという。それは、人のためであったはずのテクノロジーの進化が人類の幸福を侵害するという大いなる皮肉だ。人の死の質、クオリティ オブ デス(QOD)がないがしろにされていると、著者は強弁する。
終末期の患者に対して、苦痛を取り除き、本人の望まない処置はしない。それが著者の考える終末期医療の在り方だが、その中でも著者が重要視するのは「意味の世界」だ。僕らは幼いころからこれまで、言語の網によってこしらえてきたそれぞれの「意味の世界」を持つ。当然それは痴呆老人の中にだってあり、終末期医療に携わる者の使命とは、いくら破綻していようと患者の「意味の世界」を尊重し、怖さぬことだと、著者は説く。論説の方向性が極めてあいまいで、結局何が言いたいのかというのがわからない章もあるが、そうしたどこにでるのかわからない随筆が好みの読者にはハマるかもしれない。
ときおり唐突に挿入されるブッシュ政権批判はご愛嬌。おそらく痴呆老人と同年代の75歳にしてこれだけの聡明な文章を書く著者には関心を覚えるが、少し抽象的すぎており、この難解な文章を同世代の何人の人が読めるのだろうということはふっと頭をよぎった。