口述筆記。しっかりと編集してあるようで読みやすい。話が飛ぶと言うことがあまりない。ただし論理が倒錯する箇所はある。
どこにも書いていないが
科学者とは何か (新潮選書)の後継的な本と言える。序盤の二章の記述がかぶっている。内容の目指す方向性も近い。
また、他の章も村上陽一郎がこれまで書いてきた書籍の要約といったおもむきのある内容が多い。生命倫理・医療に関する話や安全学とか。
ただうまく軟着陸させた感はある。どの項目でも専門家と非専門家の軸を元に話しているからである。
かつては何でも専門家にお任せしていれば良い面があった。ここでは科学者と言い換えておく。
科学者が共同体のなかで自分たちだけにわかる研究をやっていればよかったのである。
ところが20世紀もおわるになるにつれて、科学がもつ影響力が増大し、社会へ与える影響も目に見えるようになっていった。
この社会に与える影響がクセモノである。
決して専門的な知識を持たない人々も多大な被害を被ったりする可能性が出てきた。
そこで著者は、科学が社会に受け入れられるようになことが必要だと説いている。
科学教育の必然性や、科学の成果を判断するのに非専門家の意見を聞く・・・など。
ともかく効率主義や実績主義に陥らないように、著者は様々な角度か留保をつけつつ、これからの科学が向かう方向性を検討している。
すっぱりと切れる解決策というのが存在しないのは著者もよく分かっているようだ。
だからこそ対話を重視し、問題の解決方法を話し合っていくことが重要なのだろう。
結局、効率一辺倒の科学政策はもちろん大切であるが、そこに与しない純粋な知識探求型の古い科学のスタイルも大切だと著者は言っている。
こういうのが学者的であり、教養的であると批判しようと思えばできないことはない。
しかし教育や研究は目に見えない成果で現れると言うことを鑑みれば、著者の穏やかな主張も自ずと聞き入れることはできるだろう。