イギリス経験論トリオの二人目、ジョージ・バークリーの主著。
「存在とは知覚されることである(エッセ・ペルキピ)」のテーゼをひっさげて、我々とは無関係に存在する〈物質〉、知覚の向こう側にある〈物そのもの〉を徹底的に攻撃していきます。
目の前の机が、私たちの知覚から独立して存在するということは可能なのでしょうか。
「誰も見ていなくても、この部屋に誰もいなくても、この机は存在するじゃないか」
このように言う人は、誰もいない部屋に机が置いてあるという情景を想像(知覚!)しているのではないでしょうか。
何を想像しようと、どんな状況を考えようと、それは「私が知覚している」「私に現れている」以外の何だというのでしょうか。ドアの向こうに世界なんか無い!?
バークリーの議論は簡明かつ誠実で大変読みやすいものです。訳文に多少の古さを感じますが、それを補って余りある註の丁寧さに感謝です。