「文藝春秋」03年6月号〜08年12月号での連載エッセイ64篇を収めている。1篇当り4頁半、400字詰原稿用紙で8枚程度か?
私はこの著者の熱烈読者ではないながら割合に好きなのだが、本書はちょっと……「坪内がツボウチしてる」って言うか、坪内流「シブイ!」の商品カタログを読まされたような気分。P218で参照されている中野翠のホンとポンの区別に引っ掛ければ、本書はポンとまで落ちなくてもホンには至らず、まさに新書ボン。
実際、坪内がボンであることは、東京ディズニーランドのオープン当時に父親が臨教審メンバーだったとか(p199)、60年代の終わり頃、海外出張の多かった父親の縁で毎年パンアメリカン航空から届いていたカレンダーが懐かしいとか(p238)、本書の端々からも伺える。あるいは04年末に書かれた「ニートな若者たちに告ぐ」(p99)とか、給食費未払い問題を扱った06年の文章(p198)なんかの的の外し方も、ボンだと思う。
秋葉原事件の加藤容疑者自身と、彼のネットへの書き込みを単純に重ね合わせる論評を「あまりに単純すぎる」(p329)と難じる一方、今の中国の若者たちの日本批判の口調について、かつてのような「リアリティが感じられない」(p133)で済ませるのも、ちょっと単純すぎないか? 畠山鈴香容疑者についての報道に関して、「(ワイドショーにジャーナリズムを期待してはいけないと言われてしまえばそれまでだが)」と言い訳しつつもメディアの姿勢を批判しながら(p207)、納豆のダイエット効果についての捏造問題では、「あの手のテレビ番組に真実を期待するほうが間違っているのだ」(p242)と書く。これはボンのバランス感覚なのか?
「富田メモ」に触れた06年の文章(p208)で、著者が再現した昭和天皇の「心」の在り処は、うまく腑に落ちなかった。