アレンズは、手に入る限りのカニバリズムの資料を子細に検討して、「カニバリズムを記述したもので、信用に値するものは存在しない」と述べる。そして少なくともカニバリズムが映像に収められたことはなく、専門家である文化人類学者によるカニバリズムの観察報告も一例もないのだから、「カニバリズム」という文化慣習の存在は疑わしい、と結論づける。事実であることが疑わしいのに信じられていること。それがカニバリズムであり、本書のタイトルの意味である。
しかしいわゆる「人食い部族」という名称は、未だ神話ではない。多くの一般人は、現在ないしは近い過去において、世界のどこかには「人食い部族」が実在したと思っているだろうし、それは実に嘆かわしいことに、専門家である人類学者においても同様であるからだ。たとえば木山英明『文化人類学がわかる事典』(日本実業出版社1996)には「世界の民族の四割が食人習慣をもつ」と、堂々と宣言されているし、そこではアレンズが詳細に検討を加えたトゥピナンバ族の事例が、まるで当たり前のようにカニバリズムの代表事例として記載されている。木山は特別かも知れない。彼は人類学者ではあるものの、その主張の立脚点はどちらかと言えば自然人類学寄りであり、かつ論理というものに余り明るくないようであるから――レヴィ=ストロースのインセスト・タブー解釈を「的を射たものではなかった」と評価した上で、これを「もって生まれた自然の感情だった」と結論づける(ならば何故「規則が存在するのか」という初歩的な問いは無視される)――。しかし他の人類学者にしても事情はそれほど変わらない。いまだにカニバリズムに関する研究報告は散発的に発表されていて、そこで焦点となっているのは「何故人が人を食うのか」という問いであり、それが栄養学的にあるいは宗教学的に議論されていくのみである。つまり人食いの存在論は検討されないままなのだ。
それは言い換えれば、アレンズの仕事が無視されているということである。しかしアレンズの仕事に遺漏があるとも考えられない。おそらくカニバリズムというテーマはトーテミズムと同じ性質を持つのだろう。トーテミズムは最終的に「あらゆる社会にトーテミズムは存在する」、ないしは「いわゆる未開社会に特有の宗教社会現象としてのトーテミズムは存在しない」という形で一応の決着を見たのであった。カニバリズムも、カニバリズムという対象が存在しているのではなく――もっとも「カニバリズムは存在したことがない」という宣言は勿論大変に困難であろうが――カニバリズムというラベリングだけが存在しているのだ。そのことを先駆的な形で示したアレンズの仕事はもっと評価されてもよいと思うが、残念ながらこの日本語訳は現時点では入手困難というのが現状である。復刊を望む。