いわゆる「無縁社会」は、しがらみに満ちた村落共同体の人間関係から自由を求めて飛び出した我々日本人自身が半ば望んで作り出したものだという著者の意見には基本的に異論がない。私も、人と人との濃密な付き合いがあった昭和三十年代はよかった的な昨今の風潮にはうさんくささを覚えていたところだ。
昔の人たちがなぜ顔をつき合わせて濃密な人間関係の中で生きていたかというと、好んでそうしていたのではなく、そうせざるを得なかったからである。農業機械のない時代の農作業は隣近所や親戚の手伝いが欠かせなかったろうし、炊飯ジャーがない時代に一人でお釜でご飯を炊くのにいかに手間がかかったか。本は高価で、テレビもゲームもない時代に一人でする娯楽がいかに少なかったか。事実上、一人で暮らすのは無理だったのである。生活水準の向上と電化製品などの発達が一人暮らしを可能にし、しがらみからの解放を実現したのだ。
すでに自由の味を知っている我々は、再び必要に迫られない限り、束縛の多い有縁社会に戻ろうとすることはないだろう。孤独死した老人のなかには、老人ホームで暮らすよりは孤独死したほうがましだと思っていた人も多くいるに違いない。
逆に、阪神大震災のときに被災した都市住民の間で濃密な助け合いの関係が生まれたように、必要が生まれさえすれば縁なんてすぐに復活するんではなかろうかとも思う。
「自由に、しかし孤独に」これはドイツの作曲家ブラームスが好んだ言葉だが、自由を求めるのであれば孤独を避けることはできない。無縁社会についてはいろんな考え方があるだろうが、「無縁死でいいし、無縁社会でいいのではないか」という著者の考え方もアリだと思う。
ただ、書物としては、粗造りだという感じがする。文章も口述筆記のようにゆるい。もっと力を入れて書いてくれれば、テーマ的には読み応えのある本になったと思うのだが。