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著者が言うところの「悪霊」は、UFOやESPに限った話ではない。政治、社会、宗教、経済の分野にまでわたる。
自由は権利だけあっても、行使されなければ意味がない。懐疑することを止め、驚嘆する気持ちを失い、思考することを怠り始めたとき、私たちは知らぬ間に「悪霊」に取り囲まれる。私たち全体の平均的思考能力が下がれば、自由の権利があっても、その行使能力は下がる。知らぬ間に思考の自由まで奪われていることだってあり得る。「悪霊」のつけいる隙がどんどん広がるわけである。オウム真理教の例までまじえて、そのような考えが豊富な例をあげながら検証されていく。
副題は(原題から勝手に訳せば)『闇に光を灯すもの―――科学的方法』である。著者は、「悪霊」を打ち破り、自由と民主主義を維持する方法として、科学(的思考方法)に希望の光を見出している。そこには「例えば狂信的な愛国心といったような教条主義的な権威」もなければ、「例えば都合のよいほうにだけ目を向ける自己欺瞞という思考停止」もない。あるのは思考の自由と、自由がゆえのエラー修正機能、自己修正機能である。人間の限界を心得た上の自己修正機能である。(人間をやっている限り、間違いを犯さない人間がいるわけがない)
思考の自由は何にも代えがたい・・・・。
「結論にとびつきたくなる気持ちをぐっとこらえ、宙ぶらりんの状態にもじっと耐えて、証明あるいは反証の証拠が出るのを待つこと」
その言葉は、科学的という折は、一種芸術的でさえある。ついつい目の前のおいしいエサに飛びつきたくなるとき、私は彼の言葉を肝に銘じる。大事な一冊。
宇宙人・UFO・超能力云々といったものだけではない.
宗教も科学的でないものの代表格である.
本書の中では,幾度と無く,宗教と科学の文脈の違いについて言及されている.
宗教の持つ未来の預言・約束,踏み込んでは行けない領域,創造主・死後の世界の必要性など.宗教をじっくり見つめるなかで,ここでもやはり科学の輪郭がはっきり見えてくる.
私たちが本当に寄るべきものとはなんなのか.しっかり考えなければならない.
これまでの自分の研究スタイルを反省させられる部分も多々あった.
私はこれまで,きちんと反証可能な仮説を立ててか?きちんと対照実験していたか?批判をきちんと受け入れてたか?権威的なものを目標にしていなかったか?
今,この時期にこの本をじっくり読むことが出来て,本当に良かったと心底思う.
『科学に権威はいない.せいぜい専門家がいるだけだ』
『願望と事実を取り違えてはいけない』
『主張が論破できないからといって,その正しさが証明されたことにならない』
など.肝に銘じたい多くの言葉.
この本は,いつも近くに置いておきたい.そして,自分はちゃんと科学的思考をしているのかを点検していきたい.
私はセーガンとは分野が異なるものの「科学」を職業としている。
だから日常 その科学の原理などの知識を説いた いわゆる教科書的な書籍に接する機会は多いが 本書のような科学に対する姿勢を教えてくれるものは 皆無と言って良いのではないだろうか?
科学に対して謙虚に向かい合い 公正な目を持ち 自らの過ちを恐れない。 そうしたことを忘れている科学者も多いのではないか? そうしたことを忘れている人こそが
科学を知らない人を欺いているのではないか? と氏は文中で繰り返し問い掛けているが 私も全く同意見であり そのため 科学の正しい進歩が阻まれているのではないかと言う懸念を セーガンと同様に抱いている。 そして私もセーガンと同じく 誰に言われて科学の世界に飛び込んだわけではなく 科学に対する姿勢を教えてくれた人も
全くいなかったわけではないが皆無に等しかった。 それが原因とは言えないが私自身 今でも全く迷いがないわけではない。 しかし本書に出会えて科学に対する姿勢を改めて教えられ そしてこれからも科学を職業としていきたいと 強く思うようになった。
だから本書は次のような人にぜひ薦めたい。 科学と言う分野に身を置いている人
科学を理解していると思い込んでいる人 これから科学を志そうとしている若者 科学を理解する前の無垢な子供達 つまり全ての人達と言うことになるのかもしれないが 全ての人が本書のセーガンの考え方を身に付ければ 氏の願い通り科学技術はこれまで以上に進歩を遂げ きっと実り多い21世紀になってくれるのではないだろうか。
セーガンのような偉大な科学者が このような素晴らしい著書を記してくれたことに感謝するとともに 氏が既にこの世にいないことをとても残念に思います。
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